月には白のおまじない

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08.夏祭り、終了

 これから、夏祭りが始まります。
 その日はお昼過ぎに家を出て、喫茶店の中で新山さんと待ち合わせをしました。本日のお昼は出歩くには殺人的な猛暑で、喫茶店の中に入った瞬間、冷房で限界まで冷やされた店内の空気によって全身の汗がすっと引いていくのを感じました。
 待ち合わせの時間よりもかなり早めに来たつもりだったのですが、喫茶店の中にはすでに新山さんが待っていました。テーブル席で落ち着かない様子でコーヒーを飲んでいます。
 わたしが店内に入ると新山さんもすぐこちらに気がつきました。慌てて立ち上がろうとして、膝をテーブルにぶつけ、すぐに座ると、椅子とテーブルの間から慎重に這い出て、わたしの方に歩いてきました。わたしのことを見つけた新山さんはすごく嬉しそうで、そんな新山さんを見ているわたしも嬉しくなってしまいます。
「竹折さん、やっぱり来るの早いね」
「新山さんこそ。……わたしが遅刻したのかと思った」
「竹折さんなら早めに来るだろうと思って、二時間前から待ってたの。正解みたいね」
 ひょっとしてそれは冗談なのか、もしかしてそれはツッコミ待ちなのか、と様々な可能性が頭を通り過ぎていきましたが、上機嫌の新山さんに手を引かれ椅子に座らされたところでわたしは思考を打ち切りました。今の新山さんはきっと無敵です。何を言ってもさらりと流されてしまうような気がします。
 新山さんの向かいの席に座ると、店員さんが水の入ったグラスを出してくれました。正直言って水で十分だったのですが、冷房と椅子をただで使わせてもらうのはあまりにも忍びなかったので、わたしはメニューを開き少し悩みながらもオレンジジュースを注文しました。
「竹折さんってオレンジジュース好きなの?」
「ビタミンCが多い」
「そうなんだ。やっぱりそういうのに気をつけてるのね。ビタミンCをちゃんと取らないと肌が荒れるから。竹折さんの肌ってすごく綺麗だもんね」
 本当の理由は単に値段が安かったからなのですが、新山さんの無邪気な眼差しに今さらそんなことも言えなくなってしまいました。ああ、罪悪感。ちくちくと胸を突きます。
 オレンジジュースの入ったグラスが運ばれてきて、わたしはストローでかき混ぜてからちゅうちゅうと飲み始めました。わたしのことを新山さんがじっと見つめていたので、ストローから口を外しました。
「どうしたの?」
「ううん。オレンジジュースを飲む竹折さんも可愛いなと思って」
「……今日の新山さんはかなり、その」
「興奮気味?」
「ハードルが高い」
 わたしが答えると、しばらくしてからくすくすと笑い始めました。
「ふふふ。ごめんね。今日はちょっと、嬉しすぎて、自分が分からなくなってたかも」
「そうなんだ。それじゃあ、無理ないかも」
 新山さん自身が新山さんのことが分からなくなっているのですから、他人であるわたしが彼女を見失うのも仕方がないことなのです。
「そういえば、今日のことなんだけど」
「浴衣?」
「本当に借りていいの?」
「もちろんOK。うち、服はいっぱいあまってるし」
「宗方さんは?」
「真琴は直接うちに来るはず。……まだ時間あるけどね」
 わたしと新山さんが待ち合わせの時間を守らなかったせいですね。喫茶店の時計で確認すると、時間までオレンジジュース一杯ではとても持ちそうにありませんでした。
「竹折さんって、お祭りとかにはあんまり行かないの?」
「うん。夕飯の準備とかもしなきゃいけないから」
「竹折さんが作ってるんだ」
「うち、お母さんがいなから」
「あ……ごめんなさい」
「いいよ、別に。新山さんのせいじゃないし」
 冗談を言ったつもりだったのですが、新山さんは神妙な顔でコーヒーの残りを飲み干しました。
 そういえば、お母さんが死んだことをわたしの口からクラスメイトに伝えるのはこれが初めてかもしれません。なので、新山さんがしたような同情的な対応には少し戸惑ってしまいます。
 自分では普段あまり意識をすることはないのですが、我が家の家庭環境はあまり恵まれているとは言えないのでしょう。それは家事の手間もそうですし、金銭的な面でも、お父さんの稼ぎはどう言い繕っても良くはありません。
 ――頭の中に石館奈緒さんの困った表情を思い浮かべました。
 お父さんと奈緒さんの結婚は、竹折家の家庭の問題を一挙に解決する「たったひとつの冴えたやりかた」なのでしょうが、だからと言って「はいそうですか」と簡単に納得できるものでもありません。
 いつか遠い未来、奈緒さんのことを「お母さん」と呼ぶ日が来るのでしょうか。それは想像を絶する未来です。
「新山さんって、宗方さんの幼馴染みなんだよね?」
「うん。中学からの付き合い。真琴と戸野くんはその前からずっと一緒だったけどね。あの二人、幼稚園のときから一緒なんだって」
 話題を変えると、助かったとばかりに新山さんが話し始めました。わたしは新山さんの話に相づちを打ちながら、溶け始めた氷とオレンジジュースをストローで撹拌していました。



 喫茶店を出て五分ほど歩いたところに新山さんの家がありました。古風な日本家屋の一軒家です。周囲は生け垣に囲われており、小さな庭に松の木が生えています。
「ただいまー」
 新山さんはガラガラと音を立てて引き戸を開けました。
「さ、入って」
「おじゃまします」
 誰に向けるでもなくぺこりと頭を下げて、靴を脱いで家に上がりました。
 木の黒い廊下は歩くと軋む音がしましたが、よく掃除されているようで不潔な感じはありません。古い家にありがちな懐かしい匂いがしています。その昔、親戚のおばあちゃんの家に行ったときにこんな匂いを嗅いだ記憶があります。
 新山さんは襖を開けて、縁側のある畳の部屋に入りました。中央に長方形をした背の低い木の机があり、長押の上には誰かの賞状や、男の人が写った白黒の写真が額縁に入って飾られています。
「やっほー」
 縁側には宗方さんが待っていました。両足を縁側に投げ出して、気だるそうにうちわを仰いでいます。暑いのが苦手なのか、いつものような覇気はありません。
「宗方さん、こんにちは」
「遅いぜ二人ともー。っていうか今日暑すぎ」
「うん。話が盛り上がっちゃって」
「燈子ー。何か飲み物ちょうだいー」
「私たちさっきまで飲んでたっての。……まあいいや。竹折さんも飲む? 麦茶でいい?」
「あ、お構いなく」
 と定型通りの返事をしましたが、新山さんは「ちょっと待っててね」と言って部屋を出て行きました。座って待っていると、コップを三つと、麦茶の入ったポットをお盆に乗せて戻ってきました。
「どうぞ」
「ありがとう」
「ほら、真琴も」
「ん。サンクス」
 宗方さんは寝そべったままコップを受け取ると、上半身を起こして一息で飲み干しました。ポットから勝手にお代わりを注ぐと、さらに半分ほど飲み干します。喫茶店でさんざん飲み物を注文したわたしと新山さんはしばらく麦茶に手をつけませんでした。
「暑いなあ。まあ雨降るよりはいいけどさ……。つーかさ、燈子の家いい加減エアコン入れようよ」
「自分の家で涼みなさい。それにうちはみんなエアコン苦手だからね」
「わたしの部屋もエアコンないけど、扇風機だけで結構涼しくなるよ」
 わたしも宗方さんに言いました。我が家のエアコンはリビングにある一台だけなのです。
「んなことより浴衣だ浴衣。祭りって何時からだっけ? 六時?」
「五時にはもう屋台は出てたと思う」
「じゃ、着替えてさっさと行こうぜ」
「あ、もう行く?」
「早めに行った方がいいんじゃないかなー。俊一たちもいつも早めに行ってるし」
 ついでのように言いましたが、きっと後者の方が主目的なのではないかと思います。新山さんは苦笑しながら立ち上がると、襖を開けて隣の部屋へ行きました。大きな古い木の箪笥があり、引き出しを開けると、中から浴衣を三着取り出して戻ってきました。
「はい。好きなのを選んで」
 新山さんは畳の上に浴衣を並べました。黒色と白色と水色の三着です。
「竹折さんはどれにする?」
 宗方さんがわたしに聞きました。どれも素敵な柄ですし、甲乙つけがたいと思いました。いえ、そもそもわたしは、こういう「何かを選ぶ」ことが苦手なのです。優柔不断なのです。わたしは曖昧に微笑んで首を振りました。我ながら百点の断り方です。
「そっか。それじゃ、あたしから選んでもいいか?」
「どうぞ」
「んー……これ!」
 宗方さんは白の浴衣を選びました。広げて、自分の体にあてがいます。似合っていると思います。宗方さんなら、大抵の服が似合うでしょう。
「新山さんはどれにするの?」
「竹折さんが先に選んで」
「ううん。お構いなく」
「そう言わずに」
「遠慮しないで」
「いやコントじゃないんだから」
 さすがに宗方さんが痺れを切らします。
「それじゃ、燈子が竹折さんに合いそうな方を選べばいいじゃん」
「え……」
 一瞬考えてから、新山さんが笑みを浮かべました。
「そうだね! うーん、どっちがいいかなあ。竹折さんどっちも似合いそうだし……イメージ的には黒色の格好いい感じだけど、水色の爽やかな感じも捨てがたいし……」
 と散々悩んだ挙句、新山さんはわたしに黒地の浴衣を手渡しました。
「それじゃ、着替えようか」
「おう」
 いきなり脱ぎ始めた宗方さんを新山さんが慌てて止めました。
「何だよ」
「……外。窓」
「あ」
 単語二つで意味を理解したようです。わたしたちのいる部屋は縁側から丸見えなのです。家の周囲は生け垣に囲まれているので、隠れていると言えなくもないですが、わたしから見ても少し不用心すぎます。
 わたしたち三人は隣の部屋で浴衣に着替えました。もちろん、襖は閉ざし、障子を閉めてから、ですが。
 宗方さんは豪快に服を脱ぐと、待ちきれないとばかりに浴衣に腕を通しました。帯を巻いて、体を動かしながら全身を見ていました。かなり気合いが入っているようです。
 一方わたしは、服を脱ぐということになかなか踏ん切りがつきませんでした。みなさんの前で裸を晒すのは学校で何度も経験していることでしたが、ここは更衣室ではなくごく普通の和室です。わけもなく気恥ずかしくなってしまうのでした。
 着ていたワンピースの肩紐をずらします。体を滑ってするりと足下に落ちました。さらにインナーを脱ごうと手を掛けたところで、新山さんと宗方さんの視線に気がつきました。
「な、何っ?」
 ちょっと声が裏返りました。
「竹折さん……綺麗な肌」
「えぇ?」
「髪もさらさらだよなー」
 と言って、宗方さんがわたしの髪をさわさわと撫でました。くすぐったかったので身をよじると、新山さんがわたしの肩に手を這わせました。ぞわりと全身が震えて、思わずその場にへたり込みました。
「ご、ごめん」
 思わぬリアクションに新山さんも驚いているようでした。わたしは必死に胸の動悸を押さえると「気にしないで」といささか棒読み気味に言って手早く浴衣に着替えました。



 夕方、町から少し離れた神社に、ちょうちんの光が列を作っていました。普段はあんなに人気のない神社が、今日は多くの人で混み合っていました。こんなに人がいるのは、祭りの日か、お正月くらいでしょう。
 わたしたち三人は並んで境内の道を歩きました。神社の狛犬の前で、戸野くんと石館くんが話しているのを見つけました。宗方さんが大声で二人を呼ぶと、彼らは気づいて同時にこちらを見ました。
「お、俊一と真斗。お前ら早いな」
「いっつもこんなもんだろ?」
 宗方さんに答えながら、戸野くんは彼女の全身を爪先から頭のてっぺんまで走査するように見ました。しかし宗方さんの浴衣に興味を奪われたのは一瞬だけで、すぐに宗方さんから目を離すと、今度はわたしの方を見ます。
「竹折、浴衣似合ってるな」
 爽やかな笑顔と共に言われました。
 わたしは何と返事をしていいのか分からずに言葉を詰まらせてうろたえていました。助けを求めるように宗方さんの方を見ると、彼女はふて腐れたようにそっぽを向いていました。戸野くんはそんな宗方さんの様子に気づいていません。突然首を寝違えたとか、そんな風に解釈しなければ、宗方さんの行動には説明をつけられないと思うのですが。
 石館くんはわたしたち三人の浴衣を一瞥しただけで、特に興味を覚えることもなく人混みの方を向いてしまいました。
「石館くん」
「何だ?」
「え、と。どうかな。浴衣」
 と、思わず訊いてしまってわたしは後悔しました。新山さんが目を丸くしてわたしのことを見ているのを感じました。こんなの、竹折乃美子の性格じゃありません。石館くんがわたしの家族になる、という事実がわたしの心のしきい値を大きく引き下げてしまったのだと思います。
 石館くんはしばらく考えた後、ぼそりと答えます。
「……黒い、な」
「それじゃ、私の浴衣は『水色……』とかって思ってるんだ?」
 新山さんがからかうように言うと、石館くんは表情を固くして黙ってしまいました。それを見て新山さんはくすくすと笑います。
「それじゃ、適当に歩こうか」
 新山さんが明るく言って、わたしたち五人は屋台を回り始めました。
 真っ先に焼きそばの屋台に行こうとしたわたしを戸野くんが止めました。先にお腹が膨れるものを食べると後がきつくなるという、戦略的な見地からの助言でした。なるほど、みなさんそんなことを企てながらこの祭りという戦場を戦っているのですね、などと自分でも少し大げさだと思いつつも感心してしまいました。
 宗方さんは当初不機嫌でしたが、祭りと神社の空気には気分を高揚させる効果があるのか、途中から屋台で無邪気に新山さんと水風船をつり上げたりして遊んでいました。
「お、金魚すくいだ!」
 戸野くんが水色のビニール製プールを見てはしゃぎます。
「あー、あんた毎年やってるよね。ぜんぜん取れないけど」
「馬鹿。あれはわざと取らないようにしてんだよ。もらっても飼えないしな」
「ほらー、おいで、おいで」
 新山さんがプールのそばにしゃがんで金魚に小さく声を掛けました。金魚は新山さんの影を見て一斉に逃げ出しましたが、新山さんは満足そうです。
「竹折も、一緒にやらね?」
「え……?」
「あ、金魚嫌い?」
「別に、嫌いじゃないけど」
「けど?」
「けど」
「え?」
「ごめん」
「あ、うん。別に、無理にやることはないし。趣味は人それぞれだし。……それじゃ真斗、一緒にやるか?」
「遠慮する」
 と、石館くんはあっさりと断わりました。今日久しぶりに石館くんの声を聞いた気がします。大人数でいると、彼の寡黙さが一段と際立つような気がします。
 宗方さんは歯がゆそうに戸野くんを睨んでいました。石館くんに断わられた戸野くんは最終的に一人で金魚すくいに挑戦していました。宗方さんを誘うという選択肢はないのでしょうか、と人の感情の機微に鈍感なわたしですら思ってしまいます。
 その後も、戸野くんがわたしを誘い、わたしが曖昧に断り、仕方なく戸野くんは石館くんを誘い、石館くんはそれを断り、宗方さんは地団駄を踏み、新山さんは祭りを満喫する、というサイクルが続きました。
 途中クラスメイトの人たちと何度か会って、宗方さんも新山さんも戸野くんも石館くんも立ち話に花を咲かせていましたが(寡黙な石館くんの花は今にも枯れそうな花でしたが)わたしは微笑んで曖昧に相づちを打つだけでした。馴れない人と会話をするのはそれだけで緊張と恐怖を感じます。とてもじゃありませんが小粋で上品な会話なんて不可能です。
 とりあえず、外面だけを繕って、この場をやり過ごすしかないのです。
 何の解決にもなっていませんが。
 わたしは今までずっとこんな風に生きてきたのです。
 何かを解決するために生きているわけでは、ないのです。
 ……などと自虐的で心地よい思考の穴にすっぽり浸かっていたのが悪かったのか、あるいは祭りという日常生活とはまるで違う「ハレ」の空気がわたしの注意力を奪ってしまったのか、とにかく結論を言えば、わたしは人混みの中でみんなとすっかりはぐれてしまったのです。
 しばらくその場に立ち尽くし(遭難したときは下手に動かないのが鉄則だと、登山の本に書いてありました)、みんなのことを探してみたのですが、見つかりません。仕方なしに、わたしは境内の中をぐるりと散策することにしました。
 あたりはすっかり暗くなり、祭りは最大の盛り上がりを見せていました。人口密度の高い神社の境内は湿度も温度も高く、祭り囃子と人の声も合わせてわたしの思考力と注意力を極限まで奪っていきます。
「わっ、ちょっと、すみませ……ぐえっ」
 要領の悪いわたしは人の流れに逆らうように移動して、人に挟まれたりぶつかったり足を踏まれたりしながら移動したり戻されたりしていました。人の汗の臭いがします。
「あ、うあ、と、通してくださいー。ちょ、痛い、痛たたた、だ、誰か踏んで、ぐえっ」
 まるでピザ生地のように揉まれながら、進んでいるのか流されているのかさっぱり分からない状況です。
 そのとき、誰かがわたしの手首を掴みました。最初それは何かの間違いだと思い、振りほどこうとしたのですが、その相手はわたしの手首を掴んでぐいぐい引っ張っていきます。
 そのまま神社の隅の、人気のないところまで連れて行かれました。
 人混みを出て、やっとその相手の顔を見ることができました。
 戸野くんです。
「竹折、大丈夫か?」
「うん……。ありがとう。はぐれちゃったみたいで」
「俺もはぐれた」
 戸野くんは屈託のない笑みを浮かべます。
「みんなどこ行ったんだろうな」
「そうだね」
「……ここの祭り、毎年すごい人だからな」
 沈黙を嫌うみたいに、きっと戸野くん自身もどうでもいいと思っている話題を口にしました。わたしは黙って頷きます。
 やがて、戸野くんの話題も尽きてしまいました。
 手持ち無沙汰になり、わたしたちは並んで人と屋台と夜空をぼんやりと見ていました。
「なあ……竹折さ。俺のこと苦手か?」
「そんなことないよ」
「そうか」
「どうして?」
「何となく。避けられているような気がしたから」
「そんなつもりはないけど。わたし、人と話すの、苦手だから」
「そんな風には見えないけどな」
 戸野くんは意外そうに言いました。その戸野くんの反応こそ、わたしにとっては意外なものでしたが。
「あー、竹折さ、もしかして――」
「あ! おい俊一! 馬鹿野郎!」
 と、聞き覚えのある声が割り込んできました。宗方さんが水風船をぶんぶんと振り回しながら手を振っています。その後ろに石館くんと新山さんがいます。
 宗方さんはわたしの方を見て一瞬だけ辛そうな顔をしましたが、すぐに笑顔に戻るといつもの調子で戸野くんにちょっかいをかけました。
「お前ら、何はぐれてるんだよ」
「仕方ないだろ、混んでるんだから」
「子供かよ。迷子になって俊一が泣いてるんじゃないかって心配したぜ」
「誰が泣くかよ。昔から迷子になって泣いてたのはお前の方だろうが。竹折、知ってるか? こいつ小三のときデパートで家族とはぐれて――」
「ああああやめろこら! こっちだってお前の弱みはいっぱい握ってるんだぞ!」
 こんな感じで、戸野くんと宗方さんはいつもの調子でやり合っています。
 わたしは微笑みながら、こっそりと、戸野くんの隣から離れました。
「もう。気づいたら竹折さんがいなくなってたから驚いたよ。……ほら」
 新山さんはわたしに手を差し出しました。
「え?」
「手。握れば迷子にならないでしょ?」
「あ、うん。そうだね……」
 ためらいましたが、わたしは恐る恐る新山さんの手を握りました。
「失礼します」
 新山さんの手は柔らかくて、とっても暖かかったです。
 新山さんがわたしに微笑みました。わたしも新山さんに微笑みます。
 って何だこの空気は……妙なことになっているぞ、と遅ればせながらわたしの頭の中で警告音が鳴り響きます。わたしの手は汗ばんでいました。新山さんの指がわたしの指に絡んで、がっちりと固定してしまいました。まるで手の平が粘膜になってしまったかのように敏感に新山さんの皮膚を感じていました。
 戸野くんと宗方さんは楽しく言い争っていました。
 藁をも掴む思いで、石館くんの方を見ます。
「…………」
 この空気、なんとかして。という意志を込めて、石館くんに視線を送りました。石館くんは、そんなことを俺に頼むな、と言わんばかりに目を逸らします。それでもわたしはめげずに救難信号を送りました。やがて根負けした石館くんが口を開きます。
「えーと……新山、さすがに手を繋ぐのは少し恥ずかしいと思うが」
「私はぜんぜん恥ずかしくないよ女の子同士だし普通だよもし石館くんが恥ずかしいって話なら私たち二人だけで屋台を回るからそれならそうと言ってね」
「そうだな。変なこと言って悪かった」
 弱い!
 石館くん、弱いよ!
 そういうわけで、上機嫌に指を絡ませてくる新山さんと、戸野くんが相手をしてくれてさらに上機嫌になった宗方さんと、どこか敗北感の漂う石館くんとで、屋台の終わる夜遅くまでずっと楽しくやっていました。



 ――祭りが、終わります。
 夏は、まだまだこれからです。
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