月には白のおまじない

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06.愛の法線

「だからお前はいちいちうるせーんだよ!」
「あああ? 言わせてるのは誰だよ! あんたが悪いんでしょうが! あーやだやだ人のせいにしちゃって、女々しいやつ」
「男とか女とか関係ないだろ! いっつもお前はそうやって無理やり人のせいにするんだ!」
「いつもって、いつのことだよ! いつあたしが俊一のせいにしたっていうんだよ!」
「昔っから気に入らないとすぐに俺を殴ったろうがこの暴力女」
「いつもあんたが悪いんでしょうが! 悪い奴を殴って何が悪い! あんたみたいな馬鹿はちょっとくらい殴らないと直らないんだよこのポンコツ頭!」
「うるせえ! もうお前みたいな奴とは口も聞きたくない!」
「あたしだって、あんたの間抜けな顔は二度と見たくないね!」
「誰が間抜けな顔だ! この……デカ女!」
「――っ!」
 戸野くんに向かって跳び蹴りを浴びせようとした宗方さんを、新山さんと二人で必死に止めました。猛獣のように怒り猛り暴れまくる宗方さんを見て戸野くんは一歩後ろに引きます。さすがの戸野くんも、宗方さんの激昂のあまりの大きさを見て少し顔を青ざめさせているようでした。その様子を石館くんが少し離れたところから見ていました。
 あたりはすでに暗くなっていましたが、映画館の前で大声で怒鳴り合う宗方さんと戸野くんは通行人たちの注目を痛いくらいに集めていました。
 本当なら映画館には先週の放課後に行く約束だったのですが、不慮の事故でわたしの眼鏡が破壊されてしまったために約束は今日まで延期されていたのです。
 金曜日の放課後、五人で待ち合わせをして電車に乗り映画館へ向かいました。映画の内容自体はSFスペクタクルとラブロマンスとサイコスリラーを足して百倍に薄めたような内容で、今日のために下調べをしていた戸野くんが上映前にやや誇張気味に話していたほどには面白くはありませんでしたが、そもそも子供たちだけで映画を見に行くという一大スペクタクルがスクリーンの外、わたし自身の身に起こっているのです。それを考えれば映画の出来不出来など些末な問題でしかなかったのです。
 問題は映画館を出た後でした。詳しい事情を描写すれば原稿用紙二千枚の超大作になること必死ですし、しかもその超大作のタイトルは「宗方さんと戸野くんがいかにしてお互いを罵り合ったか」という赤の他人にとっては明日のロシアの天気ほどにも興味を刺激しないものになってしまいます。端的に抽象的に述べるのならば、感性、文化、性別による思考回路の差が二人の間に決定的な亀裂をもたらした、ということになるのでしょうか。ミュージシャンのグループが解散の理由として用いる「音楽性の違い」に近いものがあります。
 とにかく、その日の映画鑑賞は、宗方さんと戸野くんの喧嘩別れで散々な後味を残してしまったのでした。



 その日の夜はなかなか寝付けませんでした。ベッドの中で目を閉じると、宗方さんと戸野くんの怒鳴り合う声が頭の中で響きます。
 嫌な感じです。何か落ち着かない、宙ぶらりんで、胸が締め付けられるような感覚です。
 人と人とが感情をぶつけ合う場面に馴れていないのです。そもそもわたしは喧嘩というものに馴れていないのです。わたしは喧嘩をしたことがありません。せいぜい、お父さんと言い争いをする程度ですし、それも最近はほとんどありません。喧嘩をするほど仲が良い、という定型句をわたしは信じていませんが、少なくとも本気で喧嘩をするにはある程度の仲の良さが必要で、わたしにはその程度の知り合いがいないのです。
 その日の夜は眠れなくて、何度も寝返りを打ちました。映画館を出たあの場面が何度も頭の中で再生されます。それを見ているのはわたしではありません。宗方さんと戸野くんの台詞を再生しながら、わたしはそれぞれの視点で相手の言葉を聞いているのです。
『うるせえ! もうお前みたいな奴とは口も聞きたくない!』
 これを言った戸野くんの心と、これを言われた宗方さんの心を、わたしは何度も空想します。そして空想を繰り返す度に、わたしは胸をぎりぎりと締め付けられるような不快な気分を味わうのです。いえ、本当ならば、わたしがこんな気持ちになる必要はないのです。喧嘩をしたのはわたしではないし、わたしに喧嘩の責任があるわけでもありません。それなのに必要のない不快を自分で引き受けてわたしは勝手に苦しんでいるのです。客観的に考えるとわたしはただの馬鹿か被虐主義者か、どうしようもなく感情に振り回されているだけの未熟者でしょう。どちらにしろ、淑女のような優雅さとは縁遠い存在です。
 他人の不仲を見ることが、どうしてわたしの不快に繋がるのでしょうか。わたしの身体は他の人の身体とは繋がっていません。肌で触れ合うことはできても、わたしの神経が他人の感覚を感じ取ることはできません。それなのにわたしは、どうして他人の痛みを我がもののように感じているのでしょうか。それともわたしの前提が間違っていて、竹折乃美子の心は、わたしの身体よりもずっと広いのでしょうか。
 色々と考えてしまって眠れないわたしは、夜中に何度も起きて、気を紛らわそうと漫画を開いたり、無意味に窓から夜空を眺めたりしました。今夜の夜空は雲に覆われていて、まるで真っ黒な絨毯が敷き詰められているようです。今日は満月のはずですが、月はまったく見えません。



 翌日の土曜の夜、お父さんと二人で石館くんの家に行きました。いえ、わたしの本音を言えば、何を好き好んでそんな場所へ行かなければならないのか、いわんや寝不足でイライラしているこんな日に、という感じでしょうか。お父さんが運転する砂っぽい自動車の助手席で、わたしは自分の口から攻撃的な言葉が飛び出さないように何度も深呼吸を繰り返していました。
「奈緒さんの家というのがね、すごい家なんだよ。近いうちに僕たちも向こうの家に引っ越すことになるから、楽しみだね。お手伝いさんとかもいるから、乃美子も家事をやらなくていいようになる」
 わたしは黙っていました。不機嫌だったのです。言いたいことが頭の中でぐるぐると回りました。
 あの狭いアパートがわたしの家なのです。あそこを引き払わなければならない、というのはお父さんの状況を考えれば仕方がないことだと思います。石館くんの家はお金も土地も持っているのですから、奈緒さんたちの方がアパートに引っ越して来い、というのは単なるわたしのわがままで、現実的ではありません。でも、それが分かっているからこそ、わたしはお父さんの言い方に腹が立って仕方がありませんでした。まるでお前に広い家を提供するために引っ越すのだ、と言わんばかりではありませんか。なんと押しつけがましい考え方でしょう。わたしがいつ広い家に住みたいと言ったのでしょうか。わたしがいつ、家事をやりたくないなどと言ったのでしょうか。
 しばらく車を走らせると、一戸建ての多い住宅地に着きました。古い家の集まる閑静な一帯の中で、一際目を引く西洋風の家がありました。いえ、目立っているのは家だけではありません。まるで公園のような広い庭の中に、小さな噴水、白い彫刻、幾何学的な模様を形成している植え込みがあり、その広い庭を黒のお洒落な柵がぐるりと囲っているのです。柵には一定間隔で街灯のようなものがついていて、周囲の道を優しく照らしていました。
 わたしが言葉を失っていると、お父さんは車を門に近づけ、窓から腕を伸ばすとインターホンを押しました。しばらく待っていると「しばらくお待ちください」という女性の声が聞こえました。わたしの知らない人かもしれませんが、もしかしたら奈緒さんの声だったのかもしれません。
 門が自動的に開きました。ゆっくりと左右にスライドします。
 お父さんは車を敷地の中に進めました。道なりに進むと、車が十台は入りそうな広い駐車場がありました。駐車場には高そうなスポーツカーが一台と、軽自動車が二台駐車してありました。
 白線に沿って車を止め、エンジンを切って車外に出ると、ちょうどそこにエプロンを着けた若い女の人がやって来ました。髪の短い、背の低い女性でした。切れ長の目尻が攻撃的な雰囲気を漂わせています。彼女が噂のお手伝いさんなのでしょう。
「竹折さまですね? 奥さまがお待ちです」
「ああ、どうも」
 お手伝いさんが頭を下げるとつられてお父さんも会釈しました。わたしは頭を下げませんでした。彼女に連れられてお屋敷まで歩きます。家の敷地内だというのに、建物までは思った以上に歩く必要がありました。
 正面玄関ではなく、駐車場に面した別の玄関から中に入りました。白い外開きのドアを開けて中に入ります。室内には光が溢れていました。玄関の壁には小さな油絵がかけてあり、天井からはシャンデリアが下がっています。靴を脱いで室内に上がろうとすると、お手伝いさんが何も言わずにわたしたちの前にスリッパを並べました。
 まるでホテルみたいだと思いました。とても幼稚な感想でしたが、この家の中にはわたしがこれまで想像したこともないような世界が広がっていて、それ以上のことを考えることができなかったのです。
 廊下がずっと奥まで伸びていました。広すぎて、とても家だという感じがしません。お手伝いさんに案内されて奥に進むと、リビングらしき広い部屋で石館奈緒さんが黒いソファに座って待っていました。わたしたちの姿を見て慌てて立ち上がります。
「竹折さまがいらっしゃいました」
「ありがとう。下がっていいわ」
 奈緒さんがそう言うと、お手伝いさんは素早く一礼して廊下の奥に消えてしまいました。
「久司さん、いらっしゃい。乃美子ちゃんも」
「うん」
「お邪魔しています」
「今日は私が夕食を作ったからね。この間のお礼」
「お手伝いさんが作るのではないのですか?」
「いつもは家に帰れないからことが多いから、やってもらってるけど。今日は特別なのよ」
「いやあ、楽しみだなあ。奈緒さんの料理、美味いからなあ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「奈緒さんが作ってくれるものなら岩だって美味しいですよ!」
「そんな……」
 奈緒さんは頬を染めてうつむきました。お父さんも、自分の言葉に照れています。
 何なんだこいつらは、という思いが渦巻きました。奈緒さんは料理と称して岩を作るのでしょうか。それはすごい、あんたは錬金術師か、という言葉が出そうになりました。
 奈緒さんはわたしたちを奥の部屋に案内しました。その部屋はダイニングルームになっていて、中央に白いテーブルクロスのかかった長方形の机が置かれていました。テーブルの上には空の食器が並んでいます。天井からぶら下がったライトが部屋全体を暖かく照らしていました。
「ちょっと待っててね。今真斗を呼んでくるから」
 奈緒さんはわたしたちを椅子に座らせてから部屋を出ていきました。
「な。大きな家だろ?」
 隣に座ったお父さんがわたしに言いました。
「確かに、大きな家だけど」
「こんな家に住めるんだ。すごいだろう」
「お父さん、家が大きいからあの人と結婚するの?」
「そういうわけじゃないが……」
 お父さんは口ごもりました。言い過ぎたかな、と少し反省します。
「……あの人の料理、そんなに美味しいの?」
「え? ああ、うん。前に食べたときは、すごく美味しかった」
「わたしに黙ってそういうことをしてたんだ」
「それは、その、悪かった」
「別に謝って欲しいわけじゃないけど」
「じゃあ何なんだ。さっきからおかしいぞ、お前」
「わたしはおかしくないよ。最初からわたしはわたし。変わったのはお父さんの方でしょ? 結婚するって言ったり、引っ越すって言ったり」
「でも……」
「何?」
「お前は、奈緒さんのことが嫌いなのか?」
「別に。わたしがどう思ってても関係ないでしょ。結婚するのはお父さんなんだから」
 ああ、もう、最低です。
 竹折乃美子はただ拗ねているだけなのです。
 お父さんの中での一番がわたしではなくなったことが許せないのです。
 なんて幼稚な高校生でしょう。もしかしてわたしはファザコンなのでしょうか。そういう言葉で自分自身をくくるのは嫌でしたが、こんな気持ちを誰かに知られたら、間違いなくそういったレッテルを貼られるに決まっています。
 わたしが自分の馬鹿さ加減について悩んでいると、奈緒さんに連れられて石館くんがやって来ました。彼はお父さんに愛想良く挨拶すると、わたしたちの向かい側の席に座りました。奈緒さんは座らずに、奥のキッチンへ行きました。
「こんばんは、石館くん」
「ああ」
 石館くんは横柄に頷きました。若干の威圧感を感じましたが、ちゃんと返事が返ってきたことでその分はチャラになりました。
「母さん、今日は張り切ってたんですよ。二人が来るからって、気持ち悪いくらいに」
 石館くんがお父さんに言いました。
「そうなんだ。それは楽しみだ」
「今日はずっと料理をしていたみたいで。仕事も休んで」
「それは悪いことをしたかな……」
「まあでも、本人は喜んでいるみたいなので」
 お父さんにそう言いながら、石館くんはちらりとわたしの方を見ました。わたしの表情の硬さを気にしているのか、あるいはわたしのことが気に入らないのか、一体どちらなのでしょうか。
「お待たせ!」
 奈緒さんが小さな鍋を持って戻ってきました。全員の皿にスープを注ぎます。



 一言で表せば、非常に和やかな夕食でした。和やかという言葉の意味は、価値観の違いでお互いの人間性をぶつけ合ったり怒りのあまり跳び蹴りを仕掛けようとする人間がいなかった、という意味であって、決して全員の心の中が穏やかで平和に満ちていたというわけではありません。
 もちろんわたしに人の心は読めませんが、不満の種を他人の心に探すまでもなく、わたし自身の心中が決して穏やかではなかったのです。不満と不快を表に出さないよう、食事中は努めて静かにしていたのですが、お父さんと奈緒さんは惚気たっぷりの会話を繰り広げるのに夢中でわたしのことは何も気がつかなかったようです。
 夕食は野菜スープから始まり鮭のソテー、トマトとモッツァレラチーズのサラダ、牛肉を焼いたものにトマトのソースをかけたもの、最後は苺味のシャーベットで終わりました。レストランのフルコースみたいだと思いました。料理の多彩さもそうですが、一品一品の味付けも、その量も、配分も、極めて精密に計算されたもののように思えました。
 夕食後の雑談にもわたしはほとんど加わりませんでした。ただでさえ不機嫌だったのが、奈緒さんの料理のレベルの高さに打ちのめされたのです。いえ、確かにレベルは高いですが、このレベルのものを毎日作るというのは大変です。それに西洋かぶれのこんな夕食よりも、純日本風の家庭料理の方がわたしたちの舌には合ってるはずなのです。などと反発することが自分の敗北を認めているみたいでさらに不機嫌になるのです。自分で考えて自分で不機嫌になるなんて、こんな馬鹿な話はありません。
 しばらく黙っていた石館くんが口を開きました。
「おい、竹折。ちょっといいか?」
「え?」
「俺の部屋に行こう」
「は……。え、え?」
 わたしは絶句しました。
 この人は一体何を言っているんだろう、という疑問と、今確かにわたしに部屋へ来ないかと誘ったのだという確認と、部屋に二人で一体何をするつもりなのだろうという不安が、一挙にわたしに押し寄せたのです。それまでわたしの中にくすぶっていた不平不満が一瞬で声を潜めました。今はそんなことを考えている場合ではないのです。緊急事態なのです。
 驚いていたのはわたしだけではありませんでした。お父さんの顔もさすがに凍り付いていましたし、奈緒さんは困惑したように石館くんのことを見つめていました。
 石館くんは慌てて首を振りました。
「いや、別に変な意味じゃなくて……」
「じゃあ、どういう?」
「この間、お前の部屋を見たから。今度は、俺の部屋でも見せようかと。ついでに家を案内しようかと」
「ああ、そう……」
「あんたは紛らわしいのよ」
「悪い」
「ごめんなさいね乃美子ちゃん。この子、口下手なのよ」
 わたしは奈緒さんに曖昧な笑顔を返しました。曖昧な笑顔は万能です。どんな状況にも適応できる応用力の高いツールです。
 お父さんと奈緒さんを二人きりにするのはあまり良い気分ではありませんでしたが、このままここでお父さんと奈緒さんの甘い会話に耳を傾け続けるのはもっと嫌な感じです。いえ、お父さんとしては、ここで奈緒さんと二人きりにしてもらった方がいいのでしょうが。わたしはそれに反対なのですから、お父さんの幸せではなく、自分の好みを優先していることになります。
 ああもう。
 どうして今日はこんなに考えがまとまらないのだろう!
 結局のところ、わたしは認めたくないだけなのです。わたしがどんなに駄々をこねたところで、お父さんは奈緒さんと結ばれるのが一番幸せな選択なのに。わたしはそれが許せないのです。でも、そんな自分のわがままさを自覚しているから、だからどちらにも傾けずに、思考は同じところをぐるぐると回り続けているのです。
 わたしは半ば力尽きながら、石館くんに連れられてダイニングルームを出ました。残ったお父さんと奈緒さんからは幸せなオーラが出ています。人の幸せが肉眼で見えるわけがないのですが、わたしにはそう見えたのです。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
「うん……。寝不足で」
 わたしは適当に誤魔化しました。
 石館くんは口下手なりにも家の中を案内しましたが、わたしはただ彼の言葉を右から左へ流すだけで、彼の案内から得たことといえば石館家がいかに広いか、ということだけでした。近い将来この家に引っ越してくることを考えれば少しは家の間取りを覚える努力をすべきなのでしょうが、今はそういったせせこましいことをやる気力が残っていませんでした。
 お屋敷の中はとても静かでした。こんなに広い建物に、石館くんと奈緒さんの二人だけで住んでいるのでしょうか。ましてや、普段奈緒さんは、仕事で家にはあまり帰らないという話ですし。
 最後に着いたのは石館くんの部屋でした。
 彼は気軽にドアを開けてわたしを招き入れましたが、わたしは部屋に入るのに少しばかりの勇気を必要としました。男の人の部屋に入るのは、これが初めてです。
 中はとても片付いていました。部屋自体がとても広く、天井も高いので、実態以上に整然とした印象を与えるのでしょう。教科書が並んだ本棚に、勉強机、大きなふかふかのベッドに、ソファとテーブルとテレビがありました。両開きのガラス戸があり、その外に大きなベランダが見えるのが印象的です。
「片付いてるんだね」
「あまり物がないから」
 わたしの部屋はぎりぎりまで押し込んだ漫画や小説で部屋の空間の多くを消費しています。それに比べれば、石館くんの部屋には部屋の持ち主の個性を思わせるようなものはあまりありません。
「石館くん、家では何をしているの?」
「別に。放課後は、部活やってるから」
「バスケ部だったよね?」
 石館くんは頷きました。
「バスケットボール、楽しい?」
「それなりに。お前は?」
「園芸部?」
「知らないけど」
「うん、園芸部だよ」
 わたしは笑いました。
「まあ、それなりに」
 本当は別に楽しくも何ともなかったのですが、反射的に肯定してしまいました。石館くんは特に興味もなさそうに「あっそう」とだけ答えました。興味がないならそんな質問、して欲しくなかったです。
「部屋、片付いてるね」
「片付ける人がいるからだ」
「奇麗好きなんだ」
「メイドだよ。普段は住み込み。今日は家に帰してるけど」
「何で?」
「母さんがそうさせたんだよ。今日はお前たちが来るから」
「二人きりになるために?」
「気に入らないか?」
「別に。そんなこと、ないけど」
 また、嘘を吐いてしまいました。
 何だか見透かされているような気がして、石館くんと目を合わせるのが辛くなってきました。わたしはベランダを見ました。窓の向こうに、真っ暗な夜の空が見えます。月にはうっすらと雲が重なり、その輪郭を曇らせています。
「わたしの家にも、こんなベランダが欲しいな」
「別にこんなの、あってもしょうがない」
「でも、部屋にテレビがあるのは少しうらやましいかも」
「テレビ好きなのか?」
 アニメを見るためとは言いませんでした。笑って誤魔化します。わたしみたいな女の笑顔で、石館くんを誤魔化せるとは思いませんでしたが。
「石館くんは、テレビは見ないの? 完全なアウトドア派なんだね」
「……なあその、石館くんって呼ぶの、やめないか?」
 わたしはきょとんとします。
「だって、石館くんでしょう?」
「そうだけどさ。でも、もし俺たちの親が結婚したら、俺たちは兄妹になるわけだし……。そのとき名字で呼び合ってたら変だろう?」
「そういえば、名字ってどうなるんだろう」
「多分、学校では今まで通りの名前を使うんだと思う。戸籍上変わるだけで」
 それなら安心です。
 学校で注目の的にされるのは絶対に嫌です。
「それに石館くんだと、母さんも石館だから、紛らわしい」
「でも石館くんも、わたしのこと竹折って呼ぶよね?」
「そういえば……そうだけど。そうか、そうなったら、俺も下の名前で呼ばないといけないのか」
 まいったな、と神妙そうな顔で彼は言いました。わたしのことを名前で呼ぶのが嫌なのでしょう。まあ、わたしと石館くんでは、仲良くするにも釣り合いが取れませんから。そんなことを言い始めたら、宗方さんや新山さん、戸野くんとも、わたしみたいなのとは釣り合いが取れていないのでしょうが。
 この間の映画館での一件を思い出しました。
「そういえば、戸野くんと宗方さんのことなんだけど。石館くんの方から何とかできない?」
「つまり仲直りしろって?」
「うん。石館くんは戸野くんと仲が良いから……」
「それを言うならお前だって、俊一とは仲が良いだろ? 真琴とも」
「そうなのかな」
「それに、別に何もしなくても仲直りすると思うが」
「……本当に?」
「多分な。今までだって何度も喧嘩してたけど、別に何もしなくても自然と元に戻ってきた。心配する必要はないと思う」
 石館くんは自信満々に言いました。



 結果として、石館くんの言ったことは正しかったのです。
 翌週、憂鬱な気分でわたしが登校すると、教室でいつものようにお互いをからかい合う宗方さんと戸野くんの姿がありました。
 信じられない物を見たわたしが呆然としていると「あ、竹折さん。おはよう」と爽やかな笑顔で宗方さんが挨拶しました。
 友情というのは分かりません。
 もし宗方さんや戸野くんや新山さんや、ひょっとしたら石館くんがわたしに少しでも友情の念を抱いてくれているのなら、それはひょっとしてわたしの身に余るものなのではないかと思いました。
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