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2.彼の決意

 次の日は雨だった。僕は雨の日が嫌いだ。特に今は七月を前にしてただでさえ暑い。これに湿度が加わるとほとんど最悪と言ってもいい。とはいえ夏の雨は梅雨のどろどろとした雨とは違って、どことなく後腐れがないというイメージがあった。
 僕は朝が弱い。どれくらい弱いかというと中学時代、二度寝したあげくに夕方から登校したことがある。あのときは寝惚けた頭で慌てて学校まで走って行き、校門に着いてから今日が開学記念日で学校がお休みだということを思い出したのだった。
 雨の降るアスファルトの坂道を傘を差してひとりで歩く。車が車道を通るたびに水が跳ねて不愉快だった。心の中でドライバーを四人くらい呪い殺したところで、黄色い傘を差して道に佇む仲宮ゆうの姿を発見した。
「……おはよう」
 仲宮さんの挨拶。彼女は相変わらず僕を睨んでいるみたいに無表情だった。明らかにパワー不足でふらふらしている僕に対して仲宮さんは昨日の夕方と比較してもほとんど違いが分からなかった。僕と違って朝が強いのか、あるいはパワー不足の僕にまともな観察眼がないだけかもしれない。
 正直言っておはようという言葉を発するのも億劫だったので片手を上げて挨拶する。それにしても彼女はどうして歩道の途中に立っているんだろう、何かの呪いかな、と見当違いのことを思ってそばを通り過ぎようとすると、なんと驚いたことに僕の隣についてくるじゃないか。
「もしかして仲宮さん、ずっと僕を待ってたの?」
 仲宮さんは傘で顔を隠して頷いた。赤くなっているのを見られたくないのだろうか。でもそれはすでに手遅れな気がする。
 そういえばここは昨日の夕方に仲宮さんと別れた場所だった。しかしもし万が一僕がものすごく朝の早い人だったらどうするつもりだったのだろう。約束もないのに人を待つというのはとってもリスキィなことのように思える。
「石岬は朝が苦手だと知っていたからな」
「どうして? 僕は自分の低血圧を全校に触れ回った記憶はないんですけど」
「だって、いつも時間ギリギリに学校に走って来るし……」
 ぐは。見られていたのか。
「ああ。石岬は足が速い」
「悪いですけどそれは何の褒め言葉にもなってないです」
「何か部活に入ればいい」
「おすすめは?」
「生徒会」
「じゃ生徒会長に僕のことを推薦してください」
 僕がさりげなく言うと仲宮さんは顔を輝かせて何度も頷いた。こんなに操りやすい人がいていいのだろうか。これでも僕より年上なのだ。
 学校に近づくと単位面積あたりの高校生の人数が爆発的に増えてきた。そして男子生徒と二人きりで仲良く登校して来た仲宮ゆうにみんなの注目が集まった。もちろん僕にもその注目の破片が突き刺さる。
「仲宮先輩! ……おはようございます」
「仲宮、おはよう」
「……ゆうちゃん、おはよー」
 さすがに『人気の仲宮』とだけはあって、道行く生徒がみんな仲宮さんに声をかけてゆく。そして僕の方を一瞬だけちらりと睨みつけていくのはどうしてなのだろう。多分心の中で僕に対する様々な呪詛を吐いているのだろうな、僕が朝のドライバーにしたみたいに。
「仲宮さん、人気者なんですね」
「そんなことはないと思うが」
 言葉に多少の妬みが混ざっていたことは否定できなかった。男女と学年を問わず人気のある仲宮ゆうと、そもそも存在を知られていない空気のような僕。僕の心の中にどす黒い感情が渦巻いているのを自覚して、僕は自分が嫌になった。彼女の好意に対してこんな感情を持つというのは人間としてどうなんだ。
 僕は別に博愛主義者ではないから好意には好意で返すべきだとは微塵も思っていなかったけれど、でも仲宮さんのような人が他人から憎まれ嫌われるというのはすんなりと納得の出来る話ではない。ましてや憎んでいるのが僕というのならなおさらだ。
 下駄箱で靴を履き替えて、階段を上って自分の教室へ向かう仲宮さんと別れる。周囲からの嫉妬のこもった視線が痛かった。僕の仲宮さんへの視線もこんな感じだったのだろうか。
 ていうかそもそも、僕は仲宮さんと付き合うべきではなかったんじゃないか? その疑問は昨日一晩をかけてすでに解決済みのはずだった。僕は仲宮さんの好意を利用する。もちろん彼女を使い捨てて裏切るつもりはない。仲宮さんのことが嫌いなわけでもない。でも僕の仲宮さんへの『好き』と仲宮さんの僕への『好き』が釣り合わないような気がしてならない。
 勇気を出して震えながら告白した仲宮さんと、美人に告白されて流されるままにOKを出した僕。どちらがより強い覚悟を持っていたかといえば、そんなのは考えるまでもない。
 だから僕は自覚して仲宮さんを利用する。彼女が僕に求めているものは可能な範囲でくれてやる。その代わり、仲宮さんには徹底的に僕の意のままに動いてもらう。僕らの交際はそういう『契約』。もちろん契約内容を知っているのは僕だけだが。
 ああ、僕って最低だなぁ。
 自虐的な考えがまとまり、雨の日だというのにちょっとだけ清々しい気分になって教室に入った。
「ちぃーす恋十郎。仲宮先輩と付き合っているというのは嘘かデマか」
「真実という可能性は存在しないのか」
 利川頼子の洗礼を受けた。まあこれはいつものことだが。唯一いつもとは違うのは、利川の僕への尋問にクラス中が固唾を呑んで注目しているということだった。「おい聞いたか、あいつ仲宮先輩と付き合ってるんだってさ」「うわー、どんな汚い手を使ったんだろう」「付き合ってくれなきゃ死んでやるとか言ったんじゃねえの?」「でも仲宮先輩なら『お前の手を煩わせるまでもない。わたしが楽にしてやろう』くらいは言うと思うけど」
「なんか色々酷いことを言われているね」
 利川が他人事のように言った。普段お前が僕に言っていることに比べれば千倍はマシだろう、ということは思っても口にしない。これが僕の処世術。役に立たない処世術。
「でもでもデモクラシー、よく仲宮先輩と付き合えたね。殴られなかった?」
「なんで?」
「仲宮先輩に告白したり無理に言い寄った男子生徒はみんな返り討ちにあってるんだよ」
「どうしてそうなる。先輩の方から言い寄ってきたのだ」
 それを聞いてクラス中が騒然となった。と同時にみんなの僕を見る目が冷たくなった。これはあれだ。ストーカーがあくまでも自分と彼女は付き合っているんだと主張しているときに受ける視線。敵意と無理解のカクテルだった。
「いや、あのときの先輩はすごかったな。『わたしと付き合って! じゃないとこの崖から飛び降りるから!』なんて言われちゃ付き合わないわけには――」
「崖って、そんなのどこにあるのさ」
「崖じゃなくて学校の屋上だったかも。とにかく僕は、屋上で泣き喚く彼女を説得して、その思いに胸を打たれて付き合う決意を――」
「わたしはそんなことをした覚えはないぞ」
 聞き覚えのある声だと思ったら背後に仲宮さんがいた。やあ、と片手を上げて挨拶すると仲宮さんは恨みがましい目で僕を見た。僕はその目を無視する。
「紹介するよ利川、この人が僕の彼女の仲宮ゆう」
「え……彼女なのか?」
「違うんですか?」
「そうだった。彼女だった……」
「なんで愕然としてるんですか」
「ちょっと早まったかもしれない」
「一日目にして後悔しないでください」
「うん、そうだな。人生はまだまだ先があるし」
「すでに次の戦いに備えないでください……。ていうか仲宮さん、何か御用ですか?」
 仲宮さんは自分の顎に指を当てて考え始めた。きりりとした顔つきの美女がそういうことをするとギャップが恐ろしかった。
「石岬、大変だ」
「何です?」
「ここに来た用事を忘れてしまった」
「…………えーと」
「だが忘れたということは大した用事ではないのかもしれない」
「無駄に前向きなんですね」
「無駄かな……?」
「あ、いや、いいと思います」
 この人の傷つくポイントがいまいち分かりづらい。
「それではわたしは授業があるから」
「奇遇ですね、僕も授業があります」
 それじゃ、と半ば追い立てるようにして彼女を教室の外に出した。
 教室のクラスメイトたちは仲宮ゆうの天然っぷりに圧倒されたか僕に対してますます呪詛を向けるかのどちらかだった。
 僕はささやかな優越感を感じながら自分の席についた。しかしすぐにその考えを振り払う。何を考えているんだ僕は。そんなくだらない優越感に浸っている場合か。クラスメイトたちの羨望は仲宮ゆうによるものだ。それをさも自分の手柄だと勘違いし、優越感に浸るのは狐仮虎威、獅子の皮着て威張るロバだ。
 僕は自分に嫌気が差す。自分のことが嫌いなのは今に始まったことではないけれど、仲宮ゆうと出会ってからそれがさらに目立つようになってきた。出会ってからまだ二十四時間も経っていないのに、すでに僕は自己嫌悪で死にたくなっていた。
 彼女のせいにするわけじゃないけど、僕は仲宮ゆうの実直さや素直さが眩しすぎるのかもしれない。いや、これは明らかに彼女のせいにしているな。いけないいけない。一方的に利用しておいてその責任まで擦り付けるというのは最低だ。すでに最悪に近い僕だったけど最低にはなりたくなかった。言葉の意味としてその二者にどういう違いがあるのか、そこまで深く考えたことはなかったけど……。
 高校生活というやつは学年の違う人間と交流する機会があまりない。もちろん部活動に所属している生徒なら別だが。というか部活動に所属していない生徒の方が少数なのだから機会があるのが一般的なんだろう。それはともかく。
 一応僕も帰宅部を名乗る人間だったが残念ながら帰宅部には先輩との交流が一切ないのである。もちろん同級生との交流もない。だから次に仲宮さんと会うのは放課後になるのか、いや放課後にまた会えると信じるのはセンチメンタリズムに過ぎる、明日会えるかどうかも分からない、とペシミズムに侵された僕の予想はその日の昼休みにあっさりと破られることになる。



 高校生の昼休みとは普通は昼食を食べるための時間である。告白をしたり幼なじみに嫌がらせをする時間ではない。そういう哲学の元、僕の平穏なランチタイムを送ろうという計画は僕の彼女によって妨害されることになった。
「おい石岬。来たぞ」
「どもっす。何か御用ですか」
「うん。今朝の用事を思い出した」
「さいですか。それで、どのようなご用向きで?」
「おう。渚紗に石岬のことを話したんだ。そしたら放課後に連れて来いって。今朝それを伝えに来たんだった」
「めっちゃ行動早いですね」
「迷惑だった……?」
 不安そうに尋ねるので僕は慌ててかぶりを振った。むしろありがたいくらいだしますます好きになりそうだ。こういう面倒臭くないのは大歓迎である。
「そういうことだから、放課後に迎えに来るよ」
「なんかすごい積極的ですね。……あ、そういう意味じゃないですよ」
 仲宮さんが少し顔を赤くしたので否定した。仲宮ゆうが積極的なのは今に始まったことじゃないから、とは言わない。言えば面白そうだったけど。
「石岬には、生徒会に入って欲しい」
「そりゃまたどうして?」
「渚紗はいい子だから」
 よく分からない理由を述べて、彼女は不器用に笑った。美潮先輩が善人であることは疑いようがないが、僕が生徒会に入ることとどのような因果関係があるのか不明だった。もしかしたら単に、新しくできた彼氏と一緒に生徒会に入りたいのかな、などとと考えておく。でもそれだと別れた後に面倒臭そうだ。今から別れた後のことを考えているような僕は人間失格です。
 なんとなくいたたまれない気持ちになって僕は話題を逸らした。
「ところで弁当はどうしたんです?」
「ちゃんとある。今日の昼は手巻き寿司だ」
「すげえ昼食だな……。ちゃんと僕の分も用意してきたんでしょうね」
「え? いや、わたしと渚紗の分だけだが……」
「こういうイベントのときは彼氏の弁当も用意するのがデフォルトでしょうが。仲宮さんは一体何をやっているんですか」
「もしかして石岬、弁当忘れたのか?」
「忘れたんじゃない。置いてきたんです。家を出るときに弁当のことがすっかり頭の中から抜け落ちていたんです」
「それを忘れたと言うんだが……」
 まあ購買で買えば事足りるんだけど。
 昼休みに入ってまだ十分しか経っていないのにすでに昼食を食べ終えた利川がこちらにやって来た。そしてクラスメイトたちの誰もが思っていても質問できなかったことを平気で質問してきやがった。
「仲宮先輩はこの石岬恋十郎と付き合っているんですか?」
「一応そうだが」
 一応そうらしい。また赤面させてやろうか、と思った。
「恋十郎のどこに惹かれたんですか?」
「それは……秘密だ」
 わずかな沈黙の後に答えを返した。実を言うと僕もそのことを知りたかったのだがどうやらそれも叶わなかった。質問できないクラスメイトには僕も含まれているのだ。付き合っているくせにその程度のことも知らないというのはちょっと変な気がするけど。
「つまり恋十郎に脅されているんですね」
「ちょっと待て」
「んー、でも他に理由が思いつかないし……。私なら絶対に嫌だし」
「そんなことはないぞ」利川の言葉を否定したのは僕ではなくて仲宮さんだった。「石岬にも良いところはある」
「例えばどんなところですか?」
「そうだな、足が速い」
「そんなところでボケないでください」
 一瞬でも嬉しいと思った僕が馬鹿みたいじゃねえか。仲宮さんは本当に美潮先輩の用件を伝えに来ただけで何もせずに自分の教室に戻って行った。一体なんだったんだ。
「仲宮先輩、完全に恋する乙女ですぜ〜」
「そうか?」
「だってそうじゃん。わざわざあの程度のことを自分で伝えに来たのって、恋十郎に会いたかったからぞな。健気健気ー」
 なるほど、そういう考え方もあるのか。
「あんな健気な人が不幸になるところは見たくないねぇ」
「待てこら。不吉なことを言うな」
「恋十郎なんかと付き合ってまっとうな別れ方が出来るかどうか……」
 したり顔で何度も頷いてから利川は去って行った。あいつも割と正体不明だな。
 そんなこんなで放課後がやって来た。放課後と一緒に仲宮さんもやって来た。
「どもっす」
「そういえば石岬は生徒会室の場所は知っているか?」
「多分知ってます。中に入るのがこれが初めてですね」
「そうか。まあ大して面白い部屋でもないが」
 放課後の騒がしい廊下を生徒会室の前まで歩く。他の教室とほとんど違わないスライド式のドアが、今はなぜかとてつもなく重たく感じる。
「ようこそ生徒会へ」
 仲宮さんが気の早いことを言ってドアを開けた。
 生徒会室の中には何もなかった。教室一個分の広さの部屋に椅子も机もないのだ。唯一、どこかの社長が座りそうな巨大な机と巨大な椅子だけが例外だった。そしてその席に座っているのは社長ではなく生徒会長だった。
「石岬を連れてきた」
「ご苦労様ー。まあ適当にその辺に座って」
「いや、座れと言われても」
 椅子も机もないのだが。そう思っていると仲宮さんは躊躇なく床の上に腰を下ろした。僕も渋々ながらそれに従う。
「あの、椅子とかないんですか?」
「ん? そういえばないな。何故だろう」
 仲宮さんに耳打ちすると予想の範囲内の答えが返ってきた。そりゃそうだよな、まっとうな神経の持ち主なら誰か突っ込むだろうよ。
 美潮先輩は椅子から飛び降りるようにしてこちらにやって来て、並んで座る僕たちの前で床に腰を降ろした。足を斜めに崩す女の子の座り方だ。一瞬スカートの中が見えそうでどきどきしたけど隣に仲宮さんがいるので自重した。あんまりがつがつした姿を見せたくないという微妙な男心なのである。
「ふーん、本当に付き合ったんだ」
「ええ、まあ」
 物珍しそうに僕のことを観察する。あんまり好意的な視線じゃないなぁと思っていると襟元をつかまれてぐいと引き寄せられた。鼻腔に美潮先輩の甘い香りが広がった。制服を挟んで僕らは接触する。仲宮さんがそばにいるのに僕の頭の中が一瞬で美潮先輩に占拠されてしまった。我ながら情けない、という自省の念が入る隙間があっただけでも幸いだった。
 美潮先輩が耳元でささやく。仲宮さんに聞こえないように。密談がお望みらしい。
「で? 実際のところどうなの?」
「どうなの、って」
「なんで付き合ったの?」
 彼女を利用するためです、と答えられるはずもない。僕は適当に誤魔化すことにした。
「なんでって、仲宮ゆうさんですからね。美人で優しいし頼りがいがあるし。付き合わない理由なんてありませんよ」
「ふうん。何か誤魔化しているわね」
 一瞬で見抜かれた。恐ろしい。がこれくらいでなければ自由にはなれないということか。限りなく支配されていない人間とはこういう人のことなんだろう。つまりそれは、一人でも生きてゆけるということなのかもしれない。
「ま、別にいいけど。ゆうも嬉しそうだしね。すっごく機嫌がいいし」
「あれで機嫌がいいんですか?」
「そうよー。普段はもっとむすっとしててつっけんどんなんだから。今のゆうはちょっと気持ち悪いくらい愛想がいいわね」
「本人が聞いたら気を悪くしますよ」
「気を悪くするだけで済めばいいんだけどねぇ」
 美潮先輩が曖昧に笑った。どうやら仲宮さん、噂とは随分と違う人間だと思わせておいて、実はその通り噂のままの過激な人だったらしい。
「でもね、石沢くん」
「もしかしてそれは僕の名前ですか」
「ゆうを裏切ったらわたしが許さないわ。拷問してバラバラにした後火をつけて灰にしてあげる」
 そして美潮先輩も仲宮さんに負けず劣らず過激な人だった。
 僕を腕から解放してにっこり微笑む。どうしたの? と仲宮さんが小声で訊いてきたけれど曖昧に答えて受け流した。今は彼女の純朴な瞳が少しだけ痛かった。
「さて岩山くん」
「もはや原型を留めていないのですが」
「石岬だ。あんまりからかわないでくれ。その……わたしの彼氏、だし」
 仲宮さんが自分で言って撃沈していた。自爆だろうそれは。
「石咲くん、生徒会が何をする場所か知っているかな?」
「部活動への経費を調整する場所だと聞いていますけど」
「それは活動のほんの一部だよ。普通の学校ならそれくらいをやっておけばいいんだけど、うちの生徒会は修学旅行から運動会までありとあらゆるイベントの計画運営実行を司るこの学校でもっとも権力のある組織だよ。何せ職員会議よりも強いときがあるからね」
「そんな馬鹿な」
「そんな馬鹿なことがあるのです。なぜならうちの生徒会はPTAとの結びつきが密接だから。私立の高校としては、教師陣は従わざるを得ないんだよ」
「どうしてPTAと?」
「さあ。わたしが何か言うだけでみんなが味方をしてくれるのよ。なぜかは知らないけど、でも助かるから利用させてもらっているわ」
 ううむ、さすがだ。どうやら美潮先輩は自分のカリスマに自覚がないらしい。仲宮さんも暖かい眼差しで美潮先輩を見ていたが、僕に言わせればあなたたち二人は似た者同士ですよ。
「そういえば先輩達以外の生徒会メンバーは?」
「三年が二人だ。本当はもっといたんだが、渚紗が……」
「わたしは何もしてないわよ。あの子たちが勝手に辞めただけで」
「一体何をしたんですか……」
「別に。何か勘違いしてたから修正してあげただけよ。生徒会の仕事もろくにせずにずっとわたしに絡んできて、今思い出しても不愉快だよ」
 なるほど。美潮先輩のような人が生徒会長だとそういう弊害もあるのか。隣で他人事のように美潮先輩を非難している仲宮さんを僕はさりげなく盗み見た。もしかしたらその人たちの目的には仲宮さんも含まれていたんじゃないだろうか。美潮先輩なら仲宮さんのためにそれくらいのことはしそうだった。
「前もって言っておくけどけっこうキツイよ。他の学校ならいざ知らず、うちのところは権限も大きいけど義務も大きいから」
「やりたい放題、ってわけにはいかないんですね」
「まあそれは考え方次第かな」可愛らしい仕草で首を傾ける。「やりたくなければやらなければいいし。やってもいいかなって思えるならやる、と。それが自由だと思うから」
「選択することこそが自由だと」
「別にそういう哲学があるわけじゃないけど、なんとなくね。自分で選んでおいて文句ばかり言う人が多いから。ほら、勉強なんかしたくねーって、よくうちの生徒も言うでしょ? でもあれっておかしいと思うのね。だって高校は義務教育じゃないから、勉強が嫌なら入学しなきゃよかったんだから」
 うちの学校も一応進学校の末席を汚しているらしい。多くの生徒にとって、高校とは大学(もしくはそれに準ずる教育機関)へ行くための通過点でしかない。高校が嫌だと言っても大学に進学するためには仕方がないのだ。それにこの国はまだまだ学歴社会で、中卒よりも高卒の方が就職先の受けが良いのは明らかなのである。いわんや大卒をや。
「んー、それを言われるとそうなんだけど」
「出来るなら勉強を一切していないのに有名大学卒業という経歴が付いたりしたら理想なんでしょうね。結局学校に通っている人のほとんどはその先にある就職を目指しているんですから」
「石岬は、卒業したらどうするんだ?」
「今のところ白紙です。何もなければ進学するでしょうけど」
「ふーん。石作くん、勉強は出来る方?」
「中間テストは上位三十位に入りました」
「……すごいな。優等生だ。神童だ。神だ」
 仲宮さんが大げさに褒め称えた。しかも彼女の目を見る限り冗談ではなくて本気で驚いているらしい。そんな仲宮さんを見て美潮先輩は溜め息をついて頭を抱えた。
「石菅くん、彼氏ならゆうの勉強を見てあげて。わたしじゃ力不足でどうにもこうにも……」
「悪いんですか」
「かなり」
「わ、わたしは悪くないぞ。あんな問題を解ける方がおかしいんだ。この国の教育制度は常軌を逸している」
 責任転嫁する仲宮さんが可愛かったが、本人は武士のように腕を組んで胡坐を掻いて憮然としていた。いやあの、その格好だとスカートの中が見えそうで見えな……見えない。残念。でも仲宮さんなら僕が頼めば見せてくれるかもしれない。さすがにそれを断るくらいの常識は欲しいところだが。
「話を元に戻すけど……ええと、何の話をしていたっけ」
「自由と義務についての話ですよ」
「そうそう、生徒会の仕事の話だったわね。それで、きみは生徒会に入りたいの?」
「まあ、入れるなら」
「それは返事になってないよ。入りたいのか入りたくないのか」
「――入りたいです」
 僕は改めて答えた。何でも曖昧なグレーゾーンを狙うのは僕の悪いところだ。僕は美潮先輩のようになりたかった。つまり、グレーゾーンにして逃げなくても生きていける、戦えるだけの強さが恋しかった。
 美潮先輩は目を細めて僕を見た。別に僕のことが眩しかったわけじゃなくて、値踏みするような、睨みつけるような、そんな表情だった。面接されているみたいでちょっと居心地が悪い。
「まあ、いいんじゃない?」
 返って来たのはそんな投げやりな言葉だった。それでも僕はほっと息を吐いた。
「ゆうの推薦だしね、断るわけにはいかないし」
「すまんな、渚紗」
「あなた彼女なんだから、こいつがヘマしたらちゃんと責任を取りなさいよ」
「そうだな。そのときは責任を取って別れることにする」
 蜥蜴の尻尾切りじゃねえか。
 いや、冗談ですよね?
「石岬、明日から放課後はここに来てくれ」
「今日はいいんですか?」
「毎日仕事があるわけじゃないからねえ。それに簡単なものならわたし一人で決めちゃうし」
「手伝いますよ」
「ありがと。でもやめておくわ。あなたの彼女がわたしを睨んでいるから」
 言われて仲宮さんの方を見たが、彼女はいつも通りの表情で特に変わったところはない。いや、睨んでいるみたいに目付きが鋭いんだけど、これはいつものことだとして。ううむ、よく分からない。
「そうね。それじゃ、石猿くんにはスカウトの仕事でもしてもらおうかな」
「スカウトですか?」
「それもそうだ。さすがに三人だけでは……」
「さっきも言った通り生徒会の半分以上が辞めちゃってね……。三年生の二人もそろそろ受験で忙しいし、あんまり頼れないから。だから臨時徴収、一応ボランティアってことで生徒会に登録は出来るから、ある程度人数が揃うまでは生徒会員のスカウトね。生徒会に興味がある人とか、心当たりない?」
「まったくないですが何とかしましょう。どういう人がいいですか?」
「渚紗目当ての人は除外しろ」
「そうね。後はそれなりに有能で……出来れば面白い人がいいわね」
 最後の条件は結構厳しいと思うが。
「ま、あんまり贅沢は言わないわ。とにかく今は人手が欲しいの。だから石崎くんがこれはって思うような人を連れてくればいいよ」
 というわけで、僕はめでたくスカウト係という仕事を承ったのであった。
 とりあえず話はそこで一段落つき、今日は何も仕事がないのかこれで解散ということになった。ということはあれか、美潮先輩は僕の面接のためだけに生徒会室に来ていたのか。それを思うと少し申し訳ない気になってくる。僕の仲宮ゆうへの仕打ちとは比べ物にならないけど。うん、自覚はあるから大丈夫。僕は最低、僕は最低。
「石岬、その……い、一緒に、その、か、帰ろ、帰ろう」
「なんでそんなに緊張してんですか。昨日一緒に帰ったでしょうに」
「うむ。何故だろう。改めて言われてみると不思議だ。人はなぜ緊張するのだろう」
「そこまで根本的なことに悩む人は初めて見ました」
 生徒会室の鍵を職員室に返しに行く美潮先輩と別れて、僕たちは連れ添って玄関まで歩いて行く。放課後になってから時間が浅いのでまだ廊下には生徒がたくさんいる。だから仲宮ゆうと並んで歩くのが少し苦痛だった。つまり、みんなの嫉妬と好奇に満ちた視線が僕を突き刺したのだ。
「仲宮さんと美潮先輩って長いんですか?」
「ああ。腐れ縁、というわけでもないが。わたしはこんなのだからあんまり友達がいなくて……。ひとりで教室にいると、声を掛けてきたのが渚紗だった。渚紗はいい子だ」
 それは感動的な話だと思った。僕も似たような経験があるが、美潮先輩とずっと友達でいられた仲宮さんと違い、僕の方は見るも無残、兵どもが夢の跡、という感じだった。つまりその、利川頼子のことなんだけど。
 僕が昔のトラウマに思いを馳せていると、仲宮さんが不満そうな顔で僕の方を見ていた。口をへの字に曲げて難しい顔をしているとまるで武士のようである。徳川幕府への反乱を考えていそうな顔だった。いや、どんな顔だよ。
「石岬、渚紗のことが気になるのか?」
「いや、気にならないって言ったら嘘になりますけど」
「そうか……」
 仲宮さんが遠い目をして、僕はやっと仲宮さんの誤解について気が付いた。
「いや、別にそういう意味じゃないですよ。僕の彼女は仲宮さんです」
「そ、そうか」
 妙に低い声で答えたが、頬が奇妙に歪んでいるのを見逃さなかった。もしかしたらにやけそうになっているのを必死にこらえているのかもしれない。だとしたらやっぱりこの人は扱いやすい人だ。と同時に、僕は少しだけ罪悪感を覚えた。ちくちく。
「渚紗はいい子だからな……。もし渚紗がお前を好きになったら、わたしは手を引かなきゃならん」
「そこまで義理立てしなくても」
「いや、それだけのことを渚紗にはしてもらった」
 仲宮さんは僕の顔を真正面から見た。仲宮さんの整った顔が赤い光に照らされている。気が付けばもう夕方だった。蝉の声がうるさくても、彼女の透き通った声の邪魔にはならない。少し暑い。でもこの汗はそういう汗ではなくて、冷や汗に近い――。
「だから石岬、あまり渚紗に好かれないでくれ。わたしは渚紗も好きだが、その次くらいには、お前のことが好きだ」
「次、ですか」
「ふん。不満か?」
「いえ。一番になれるようにがんばります」
 気の利いた返事が思いつかなくて、僕は一番本心に近い言葉を返した。彼女の頬の赤さが夕日によるものなのか、照れによるものなのか、僕の目では判別できない。
 僕らに近づく足音。美潮先輩が競歩のような速度で僕らを追いかけていた。
「ごめん、待った? 水入らずで二人きりのところ悪いけど、ゆうはわたしのものでもあるんだからね」
 美潮先輩はそう僕を茶化して、本当に自然な動作で仲宮さんと腕を組んだ。僕は少しだけ、美潮先輩の素直さが羨ましかった。



 必要が価値を生み、価値の移動が利益をもたらす。これは経済における必要と価値と利益の関係だが、これは経済の話だけではなくて人間についても言えることだと僕は思う。権力や自由を手に入れることが出来るのは他人に必要とされている人間だけだ。必要とされているからその人には価値があり、他人との関わりにおいて常に自由になれるのだろう。
 支配されないもっとも簡単な方法は他人や社会との関わりを遮断することだ。そうすれば僕の意識範囲には何もなく、それならば僕は支配されようがない。これは別に屁理屈でも何でもなくて、現に俗世間との関わりが嫌で山に引きこもってしまうような人がいるわけだし。
 でもそれは支配されていないだけで、敗北ではないけど勝利じゃない。たった一人で生きていくのならば支配されていた方がマシだからだ。それは精神的なことではなくて物質的な、もっと即物的な話だ。例えば僕は毎日食べ物を買っている。購買でパンを、朝余裕があるときはコンビニに寄ってサンドイッチを買うこともある。俗世間との関係を絶つというのはそれすらも叶わなくなるということだ。
 いや、買い物くらいは別にいいんじゃないの? と誰かは思うかもしれないが、その買い物に使うお金だって誰かから貰ったものなのだ。その誰かは例えば僕なら親だし、あるいは会社人だったら会社だったり、経営者だったらお客さんか。そういうやり取りはどうしても『支配』を含むし、お金のために誰かに従わければならなくなる。僕の目指す自由とか支配からの解放とは支配されないという守りの理想ではなく、こちらから積極的に他者を支配し操れるだけの力を手に入れるという攻撃的なものだ。だからこそ僕は周囲の人間に尊敬され、愛され、そして必要とされなければならないのだ。
 まあそんな理屈はともかく、とりあえず僕は美潮先輩に必要とされ(雑用を任せる程度の必要だけど)たわけで、この程度の段階は確実にクリアして先輩の信頼と必要を勝ち取らなければならないだろう。
「にしても生徒会員ねえ……」
「誘えそうな奴はいるのか?」
 生徒会に入った翌日、仲宮さんに告白された翌々日。――僕が他人の支配に気付き始めてから数年後。僕は今日も仲宮さんと一緒に並んで登校する。僕が誘ったのではなくて仲宮さんが僕を待ってくれていたのだ。昨日仲宮さんに遅刻のことを指摘されたので今日は少しだけ早めに出たのだがやっぱり仲宮さんは僕よりも先に来て待っていた。少し雲行きが怪しいけどまだ雨が降っていないのが幸いだった。昨日の帰りは雨が降っていなかったので傘を持ち帰るのを忘れたのだ。
「こう言っちゃ恥ずかしいんですが、僕はあんまり友達がいないもんで」
「わたしがいる」
「いや、仲宮さんはもう生徒会じゃないですか」
「そうだな……」
「それに誰でもいい、ってわけじゃないですからね。下手に募集をかけてまた変な目的のやつがやって来たら」
 まあ実のところ僕自身も広義の『変な目的のやつ』に含まれるのだが。美潮先輩と仲良くなろうという下心の方がマシな気もするなあ。そちらの方がまだ可愛げがある。
「わたしも前から探しているんだが……」
「生徒会員ですか?」
「ああ。なかなか渚紗が許してくれない。入りたいという人はたくさんいたんだが」
「そりゃそうでしょうね……」
 仲宮さん本人が誘っているんだ、彼女が目当ての不逞の輩がぞろぞろ集まってくるだろう。
「そういえば生徒会にはあと何人くらい必要なんですか?」
「わたしたちを含めて最低五人は必要だろう。会長、副会長、書記、会計、秘書」
「秘書てなんすか」
「セクレタリーだ」
「んなことは知ってますよ」
 それにしても僕に友達がいないというのは割と深刻な事態なんじゃないかこれ。僕に友達がいないのは別に僕が嫌な奴だからというわけじゃなくて、単に僕が友達を作る努力を怠ってきたからだ。
 僕は小学生のときクラス中からいじめられていた。その原因というのは些細なもので、当時付き合っていた友人たちと僕が喧嘩し、友人たちが僕をいじめたところクラスのみんなもそれに倣って僕をいじめたとそういうわけだ。そのことから僕が学んだのは人間関係なんてものはろくでもないもので、そういうろくでもないものはいざというときは頼りにならないしむしろ僕を傷つける。
 別に僕は人間関係や友情のすべてを否定するわけじゃないけどそれがすべてだとは思わない。僕は他人を邪険に扱ったりはしないし友好的なクラスメイトにはそれなりに友好に接しているつもりだ。重要なのは友情は無価値ではないが特別に価値のあるものでもないということだ。
 とは言えこの場合は僕に友情がなかったせいで困っているのだが。まあ勧誘するだけだから本当は友情なんていらないんだけど。
 というわけでその日の三時間目が終わったとき、僕は利川頼子に声をかけたのである。次の授業に英語の小テストがあるというのに利川は余裕の表情で机に両足を乗っけて鼻歌なぞ歌っている。別に機嫌がいいのではなくてあれは退屈しているときの仕草だ。彼女との付き合いは長いのでそれくらいの推測は可能だった。
「よう利川、ちょっといいか?」
「だめ」
「わかった。じゃあな」
 僕は諦めた。
 ターンして机から離れようとする僕の服を利川の手が掴んだ。改めて見ると利川の手って小さいんだな。それにとても綺麗な指をしている。
「……もうちょっとコミュニケーションしようよ」
「そうか」
「そんで何用かえ? マジカルスチューデンツ頼子ちゃんに何かお願い?」
「どこの魔法少女だよ。しかもなんで複数形だ」
「ア、マジカルスチューデント? 私って英語嫌い。英語も私を嫌ってるし。ドイツ語ならペラペラなのに。もちろん嘘ぴょんだけど」
 今日の利川はちょっとハードルが高かった。でもこいつはちゃんとわきまえているので俺以外の相手に対して無茶苦茶やったりはしない。そのおかげでこいつはクラスの中でも結構人気者だ。このことに関してはどうしても納得がいかない僕である。
「お前、確か部活はやってなかったよな」
「いかにもかかしも」
「頼むから日本語を話せ日本語を」
「帰宅部のエースだにゃん」
「んじゃ時間はいっぱいあるわけだ」
「人間誰しも一日に与えられた時間は二十四時間だよ。その点に関して神様は意地悪をなさらなかったのだ」
「それじゃ利川、お前生徒会に興味はないか?」
「んーふふ。恋十郎には興味あるけど生徒会に興味はないかな。なして?」
「いや、生徒会が今人不足で、それで誰か入ってくれないかと勧誘中」
「んー?」
 利川が首を横に傾けた。そのまま傾け続ける。九十度を越えた辺りで人体の限界に当たったらしく、彼女はしばらく静止したままで僕を不思議そうに見ていた。
「なんで恋十郎が勧誘してるんや?」
「ああ、そういえば言ってなかったっけ。僕生徒会に入ったんだよ」
 ガタン、と利川が椅子から転げ落ちた。首を曲げすぎてバランスを崩したのではないらしく、床に尻餅をついたまま僕の方を見てがくがくと震えだした。
「な……な……な……」
「ど、どうした!?」
「恋十郎が生徒会……な……な……なぜ!?」
「いや、なぜそこまで驚く」
「偽物? マインドコントロール? 宇宙人が恋十郎に化けてる!?」
「んなわけねえだろ。面白そうだから入っただけだよ」
「恋十郎が壊れた! 恋十郎が恋十郎じゃなくなっちゃった! 私の恋十郎が!」
 そのまま喚き出した。子供が駄々を捏ねるみたいに泣き始めても不思議じゃない剣幕だった。剣幕と言うか、対処に困るし、これ、わけがわからない。
 しばらくして落ち着いたのか、利川はスカートの埃を払って椅子の上に戻った。でも完全に平静を取り戻したわけじゃなくて、利川は目の焦点が合っていなかった。
「そう……恋十郎が……恋十郎が……」
「何だよ。僕が生徒会に入るのがそんなに不満なのか?」
「諸君……私が愛した恋十郎は死んだ」
 死んでねえよ。
「本題に戻るけど、利川って部活はやってないんだろ? もし興味があるんなら生徒会に入ってみないか?」
「んーそうだねぇー。条件次第かな」
「何を要求するつもりだ」
「そだなー」
 と利川は顎に指を当てて考える仕草。しかし本当はもう何を言うかすでに決めているはずだった。なぜなら利川が笑いを堪えて僕のことをずっと見ているからだ。彼女の要求如何によっては即座に勧誘を打ち切る覚悟が僕にはあった。だけど利川の要求は僕の予想にはかすりもしていなかった。
「じゃ、私のことを頼子って呼んでよ」
「はあ? なんで?」
「だって私は恋十郎って呼んでるのに恋十郎は私のことを利川って呼ぶもん」
「だったらお前も僕のことを石岬さんと呼べばいいだろ」
「なんで遠ざかってるのさ。しかもさん付け……」
「別に下の名前で呼び合う必要もないだろ……。その、別に付き合ってるわけじゃないし」
「うん、知ってる。恋十郎の彼女は仲宮先輩だもんね。だからいいじゃん。別に下の名前で呼び合っててもやましいところはないんだし」
 利川の主張はなんだか力不足で妙に筋は通っていて、そのことが余計に普段の利川らしくなかったけど、まいいや。呼び方ひとつで要求が通るなら十全だ。普段のこいつが扱い辛い僕の天敵であることを考慮すれば、これは破格の条件だろう。
「いいよ。これから僕はお前のことを頼子と呼ぶ」
「りょーかいっ。ちなみに『よっちゃん』『より姉ぇ』『よりちゃん』『よりしー』も可だよん」
「それはぞっとしない呼び方だな」
 こんなやり取りで、利川頼子も生徒会の一員に加わることになった。
 さてまずはこれで一人目。あと何人くらい連れて行くべきだろう。
「仲宮先輩は五人って言ってたんでっしゃろ? 私ー、恋ちゃんと会長に仲宮先輩、で四人。あと一人かな。別に五人以上いてもいいみたいだけど」
「だな。誰か心当たりあるか?」
「会長か仲宮先輩目当ての生徒ならいっぱい心当たりあるよ」
「んなもん意味ないだろ」
「そうだねえ。浅間くんでも誘ってみたらどうだに?」
「浅間か……。あいつ部活やってなかったか?」
「いつも掃除終わったら真っ先に帰るじゃん」
 そうだったっけ。利川もとい頼子は意外とクラスメイトのことをちゃんと観察しているらしい。比較対象が僕だからそうなるのかもしれないけど。僕ほど他人のことを見ていない人間はいないんじゃないかと、自分でたまに思うときがある。
 まああいつならば美潮先輩目当てで生徒会に入るようなことはしないだろう。そもそもあいつは女に興味があるのか? そもそも人間に興味があるのかどうかも謎だ。ていうかそれなら誘っても入らないような気がしないでもない。
「ふぁいとっ! とりあえず誘ってみる、だね」
「気の抜ける応援ありがとう」
 口では応援していても机の上に両足を乗せてふんぞり返ったままだった。くそ、声は可愛いなコイツ。ちょっとだけやる気が出た自分は滅びればいいと思う。
 まあぐだぐだ考えていても仕方がないのでその足で浅間のところに行こうとしてチャイムが鳴ってしまったので諦める。なんとも間が悪い僕。
 結局僕が浅間のところに行ったのは英語の授業が終わった昼休み。半ば投げやりになっていた僕は単刀直入に切り出すことにした。
「浅間、生徒会に入らない?」
「いいだろう。望むところだ」
 ……三秒で会話が終わってしまった。
「ちょ、ちょっと待って。そんな即決していいの?」
「うむ。石岬が俺に頼みごとというのならば相当困っているのだろう。そんなときは黙って力を貸してやるのが男というものだ」
「お……おおお……」
 僕はちょっと感動していた。
 ここ最近で一番感動しているかもしれない。
 もしかしたら仲宮さんに告白されたときよりも興奮しているかも。あれ……なんで僕はこんなにどきどきしているんだろう。
「でも浅間、部活とかはやってないの?」
「やりたい事があれば一人でやるのが男だ。群れたり仲間を作るのは女々しいからな」
 それじゃあ野球がしたくなったらどうするんだろう……という突っ込みは入れないでおいた。せっかく本人が格好をつけているのだ、下手に水を差さないのが男だろう。
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