月には白のおまじない

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01.臆病者

 暗い性格だと、よく言われます。
 広崎高校一年一組、廊下側の一番端、前から四列目がわたしの席です。髪が長いのは特に目的があって伸ばしているわけではありません。美容院に行くのが億劫で、気がついたらこんな長さになっていました。だからあまりお手入れもされていませんし、してもあまり意味がないと思います。中学の頃から目が悪くなって、今はもう眼鏡を手放せない視力になってしまいました。プールに行くのは危険です。温泉に入るのも、あまり気が進みません。眼鏡はなるべく目立たないような、地味なフレームを選びました。
 わたしはあまり可愛い顔ではありません。
 不細工ではないと思っているのですが、周りの人たちがどう思っているかは分かりません。口割け女の如く、面と向かって「わたし、奇麗?」などと聞くことができるでしょうか。絶対に無理です。なぜならわたしには友達がいないからです。いえ、クラスメイトの中には気安く声をかけることのできる子が何人かいますが、でも休日に一緒に遊ぶことはありませんし、その子たちはあくまでクラスメイトであるわたしと仲良くしてくれているのであって、わたしという個人とは何の絆もないのです。
 クラスメイトの方々はわたしのことを「竹折たけおりさん」と呼びます。下の名前である「乃美子のみこ」を使う子はいません。もしかしたらわたしの名前が乃美子であることを知らない人もいることでしょう。仲の良い友達同士、渾名で呼び合っているのを見ると、わたしはそれがうらやましくてなりません。
 いえ、みなさん、別にわたしのことを嫌っているわけではないのです。広崎高校一年一組はとてもいい人たちばかりで、このクラスにはいじめなんてあり得ません。
 問題はいつもわたしの方にあるのです。わたしが、自分をさらけ出して、根っこの部分でぶつかっていけば、きっと彼女たちも応えてくれるはずなのです。でもわたしにはそれができません。勇気がないからです。きっと、わたしは暗いのではなくて、臆病者なのです。
 何かの節に、クラスメイトの方に「竹折さんって静かなタイプだよね」と言われたことがあります。静かなタイプ、というのは、根暗であり自らを語らず正体不明で不気味であると、そう言いたいのではないか、とわたしはつい勘繰ってしまいます。
 いえ、そんなはずはないのです。わたしの口数が少ないのは事実なのですから、「竹折さん」=「静かなタイプ」は客観的事実なのです。彼女はそれを指摘したに過ぎないのです。ですが、人の心の中は覗けません。もしかしたら本当にただ事実を述べただけなのかもしれませんし、あるいはわたしが危惧した通り、彼女はわたしが根暗であることを暗に主張しているのかもしれません。
 などと、わたしはついつい物事をマイナスの方向に捉えてしまいます。現実はわたしが思っているほど辛くも苦しくもないのに、わたしの思い込みが現実をマイナスの方向に修正してしまうのです。
 なんで、わたしは、こんな人間なんだろう。
 自分の真っ黒な髪の毛を指でいじりながら、休み時間にぼやきます。わたしには髪の毛を染める勇気もありません。ましてや、自分の殻を破って、誰かと心からぶつかり合うなんて、そんな危険な真似はできません。もし怪我をしたらどうするのでしょうか。死んでしまいます。
 休み時間はいつも苦痛です。他の子たちは、友達同士、グループで集まってわいわい騒いでいます。わたしには一緒に騒ぐような友達がいません。いえ、孤独な休み時間はまだ良い方で、一番苦痛なのは、クラスメイトの誰かが気を使って、わたしを会話に混ぜようと試みたときなのです。
 わたしは雑談というやつが大の苦手です。自分から出せるような話題はないし、みんなの話題にはついていけないし、それに、興味のない話にも興味のあるふりをしてうんうんと頷かなければなりません。それではまったく心が休まりません。休み時間だというのに授業中よりも疲れてしまうのです。
「あ、竹折さんー」
 と親しげにわたしのことを呼んでいる女の子がいます。彼女の名前は宗方むなかた真琴まことといいます。中学時代は女子バレー部のエースだったそうです。今も高校のバレー部で先輩たちにしごかれているらしいです。
 わたしは人当たりの良い笑顔を浮かべながら、呼ばれるがままに彼女のもとへ馳せ参じました。宗方さんと一緒にいるのは戸野との俊一しゅんいちくんと新山にいやま燈子とうこさんです。
「竹折さん、二十四日は暇?」
 二十四日が何曜日だったのかを、頭の中で数えます。今日は五月二十日ですから、二十四日は土曜日です。
「うん。暇だよ」
「じゃあさ、今度一緒に遊びに行かない? 俊一と燈子も来るんだけど」
「どこに行くの?」
「適当にカラオケとか」
 休みの日くらいは家でゆっくり休みたいと思いました。見たいDVDもありますし、やりたいゲームもあります。
「いいね、カラオケ。待ち合わせはどこにする?」
 行きたくない、などと、言えるはずがないのです。そんなことをして、もし宗方さんたちに嫌われたら、このクラスにわたしの居場所がなくなってしまいます。
 宗方さんは白い歯を見せてニッと笑いました。短く切ったショートボブの髪が、まるで少年のようです。宗方さんは男女を問わずみんなの人気者でした。クラスの男子の中にも、彼女に恋心を抱いている人が何人もいることでしょう。
真斗しんとー! お前どうする?」
 戸野くんが大声で聞きました。教室の一番後ろの席に、石館いしだて真斗くんが座っていました。
 彼は気だるそうな顔を戸野くんに向けると、煩わしそうに首を横に振りました。戸野くんと石館くんは親友と呼べる間柄で、クラスの女子の人気を二分するほどのいわゆるイケメンです。戸野くんはさわやかなスポーツマンタイプのイケメンですが、石館くんはどこか影のあるクールで危険なイケメンというところでしょうか。ちなみにわたしの好みのタイプはどちらかと聞かれれば、そもそもわたしはイケメンがタイプじゃない――というか、ぶっちゃけイケメンが怖いので、できるなら二人とはあまり関わり合いになりたくないと思っているくらいなのです。
 しかし宗方さんと戸野くんの仲が良いので、宗方さんに誘われたときは戸野くんが高い頻度で同行してきます。できるなら戸野くん抜きで、さらに多くを望むのなら休日は家で一人で過ごしたいと願っているわたしです。
 そんなことを考えながら心の中で溜め息をついていると、ふと石館くんと目が合ってしまいました。
 わたしは怖くなってすぐに目を逸らします。目を逸らしてからも、なんだか睨まれているような気がしたので、トイレに行く振りをして宗方さんたちと別れました。



 わたしに「乃美子」という名前をつけてくれたお母さんは十年前に他界しました。病気だったそうです。闘病生活の最中でも、いつもわたしを可愛がってくれました。お母さんには良い思い出しかありません。もちろん、お父さんにだって、わたしは悪い感情を持っているわけではないのです。
 アパートに帰るとわたしはひとりです。お父さんは仕事があるので帰りはいつも遅くなります。家に帰ると、自分の夕食と、お父さんの分の夕食を作って、お父さんの分はラップをかけて冷蔵庫にしまいます。一人で食べる夕食に最初は抵抗があったのですが、今ではすっかり慣れてしまいました。
 思うに、孤独なんてものは、大したものではないのです。同じ年頃の人たちは、やれ彼氏が、やれ友達が、やれメールだと大騒ぎですが、そんなの、いなくたってすぐに慣れるものなのです。と強がってみますが、わたしだって友達や彼氏は欲しいですし、できるなら家族三人で夕食を食べたかったです。
 お父さんとは、今週一言も口を利いていません。別に喧嘩をしたわけではありませんし仲違いしたわけでもありません。お父さんのことは嫌いではないのです。ではなぜ会話がないのかというと、単に二人の生活がずれているということではないと思います。何となく、会話が少なくなってくると、ついつい、話すことに臆病になってしまうのです。
 夜、襖の向こうに、お父さんの帰ってきた音が聞こえます。本当ならば出て行って「おかえりなさい」の一言でも言ってあげるべきなのです。でも、昨日も話していない、一昨日も話していない、では今日は一体何を話せばいいのでしょうか。どんな顔でお父さんと会えばいいのでしょうか。そのような疑問がぐるぐると頭の中をかけめぐって、ただの家の襖が、石で作られた壁のようにわたしの前に立ちはだかるのです。
 そうなったときのわたしの答えはいつも同じです。「明日でいいや」、と。問題は先送りにするのです。長く伸ばしすぎた髪の毛は、「明日でいいや」。友達を作るのも、「明日でいいや」。そうやって先延ばしを続けた結果、今のわたしになってしまいました。
 ところが、その日はいつもの先送りが使えませんでした。
 授業が終わり、園芸部の活動日だったので適当に参加し、学校から家に帰ると、お父さんが居間でわたしのことを待っていました。久しぶりに会うお父さんは前に見たときと変わらない姿でした。当たり前ですが。
「お帰りなさい」
「だ、ただいま」
 平静を装ってそう言いました。声が裏返りそうになりました。逆に、少し不機嫌な声になってしまったかもしれません。「あー、疲れた疲れた」などとわざとらしい独り言を言って、その失敗を挽回しようと試みました。
「なあ乃美子、ちょっと話があるんだけど、いいかな」
 意外な申し出です。途端にわたしの緊張が高まります。何を言われるんだろう。怒られるのかな。わたし何かしたかな。いつもと変わらないように見えるのは怒りを必死に押さえているのかな。というかなんでこんな時間に家にいるんだろう。会社は? もしかしてリストラされた? 「なあ乃美子、お父さん、会社リストラされたんだ」とか言われたらどうしよう。「だから乃美子、お前も働いてくれ」とか言われたらどうしよう。高校辞めるのかな。高校辞めてパートで働かなくちゃいけないのかな。そんなの嫌だ、もう少し高校生活を続けたい。でもお父さんはがんばってくれているし、わたしだけが楽をしてぶら下がっているわけにも――という思考が、「いいよ。どうしたの?」と言いながらテーブルに座るまでの三秒間に頭の中を駆け巡ります。時間よ止まれ、と最後に念じてみましたが、わたしは超能力者でもスタンド使いでもないのでそんなことはできません。
 お父さんの正面に座りました。現実を真っ向から受け止めるためです。もちろん覚悟なんてできていません。いざとなったらショックのあまり気絶するつもりでした。あるいは涙を流しながら家を飛び出すべきでしょうか。しかし友だちのいないわたしには家を飛び出しても行く当てがないのです。困ったな。
「なあ……。母さんが死んでから、もう十一年になるよな」
「そうだね」
 と素っ気なくわたしは答えました。お父さんの方でも話の切り出し方に迷っている様子でした。そうなるといよいよリストラの可能性が高まってきます。きっと悪い話です。わたしの将来に暗雲立ちこめる悲惨な話なのです。
「その……あの……えっと……いやあ、まいったなあ」
 優柔不断に悩みながら、お父さんがはにかみました。わたしの優柔不断なところは明らかにお父さんからの遺伝です。いえ、仮に性格が遺伝しないとしても、わたしは人生のほとんどをお父さんに育てられて育ったのですから、そういった環境が、わたしに決断力と勇気を奪ってしまった可能性は高いと思います。もちろん、自分の非のすべてをお父さんに押しつけてしまうほど、お父さんのことを嫌っているわけではないのですが。
 いやいや、今はそんなことはどうでもいいのです。わたしの優柔不断さの原因を探っている場合ではないのです。お父さんははにかんで――どこか照れたような顔で、わたしへの言葉を探しているようです。ということは、もしかして、これは悪い知らせなどではなく、何か幸せに繋がる報告なのでしょうか。
「その……乃美子」
「なあに? お父さん」
「父さん、再婚するんだ」
「ぶほっ!」
「乃美子?」
「え? あ、ご、ごめん」
 再婚という言葉の持つインパクトが強すぎて、わたしは思わず下品に吹き出してしまいました。慌ててそれを取り繕います。いえ、わたしに品格や品位があるわけではないので、これは単に見てくれの問題なのですが。ですけども、マナーや心遣いという優しさを失ってしまっては、わたしのような無能な人間は他の方々に嫌われるか、あるいは利用する価値なしと見捨てられてしまうのです。
 ってまた思考が脇道に!
 なんでだよ! ちゃんと考えようよ! てか再婚ってなんだよ! あんた見境なしかよ! 母さんのこともう忘れたのかよ!
 ……おっと、いけません。取り乱してしまいました。わたしは深呼吸して、お父さんの言った言葉を咀嚼しました。飲み込みます。喉が詰まります。むせました。
「ぶほっ!」
「乃美子、ショックなのは分かるが……」
「でも、お父さん、再婚って……」
「分かってる。お前は、母さんのことが気がかりなんだろう?」
「気がかりって言うか……」
「一応、言い訳しておくが」お父さんは腕を組んで言いました。「母さんが死ぬ前に、この手の話をしたことがある。わたしのことは気にせずに、いい人が見つかったら再婚してね、と言っていた。母さんも父さんの再婚を望んでいる。それに、母親はお前にとっても必要だと思うんだ」
 その言い方が気に入らなくてわたしは目を伏せました。なんだかわたしの存在をダシに使われたみたいで気に食わなかったのです。別にわたしのことを引き合いに出さなくても、そんなに良い人なら勝手に再婚すればいいのです。それなのにいちいちわたしのためだ何だと言って、そういう姑息さが腹立たしかったのでしょう。
「言うのが遅れて悪かった。相手の人は、今は会社員をやってる。奈緒さんっていうんだ。それで今度、みんなで食事に行こうと思う。多分、乃美子も奈緒さんのことを気に入ると思う」
 わたしが奈緒さんとやらを気に入るかどうかはわたしが決めることであってお父さんが決めることではありません。まったく、大きなお世話です。
「それで、いつ会うの?」
「今晩」
「それ、今度って言わないよ」
「そうか」
「……好きなんだ、その人のこと」
「だから、再婚するって言ってるんだよ」
「だね」
 わたしは頷きました。非難の色を込めて、お父さんのことを睨み付けます。いいえ、お父さんを責めるのは理不尽でした。言い出すのがこんなに遅れたのは、わたしが、お父さんとあまり言葉を交わさなかったのが原因なのですから。
「良い人、なんだろうね」
「うん。すごく良い人だよ」
「結婚したら、一緒に住むの?」
「そのつもりだよ。……多分、向こうの家に行くことになる」
「一戸建て?」
「ああ」
「お金持ちなんだ」
「家が、貿易関係の会社をやってるらしい」
「逆玉だね」
「それで、その」言いにくそうに、お父さんは言葉を濁しました。「奈緒さんは、その、昔、結婚していてね。相手の人とは、何年も前に別れたそうだが」
「バツイチだね」
「向こうには息子がいる」
 息子、という言葉を聞いて、なぜかわたしは、五歳とか六歳の、ずっと小さな男の子を想像していました。ああ、わたしに弟ができるのだなあ、という感想は、あまりに実感がなくて、どこか他人事のようなよそよそしさがありました。
「ちょうど乃美子くらいの歳の男の子だ」
「どぇえ?」
「たしか、乃美子と同じ高校に通っていたはずだが」
 そんな馬鹿な、とわたしは言いました。ちくしょう、と言わなかっただけ上出来だったと思います。つまり、同級生の男子のいずれかが、わたしの兄か弟になって、一つ屋根の下で一緒に暮らすのです。一体どんな罰ゲームでしょうか。いえ、遊びではありません。拷問です。毎日毎日、学校で苦痛の時間を過ごして、何とか家に帰り、その苦痛を癒してきたというのに、これからは家でも苦痛が続くのです。わたしはこれから何をよりどころにして生きていけばいいのでしょうか。
「その……相手の人の、名前は」
 わたしは聞きました。聞かなければならなかったのです。
 そして、帰ってきた答えは最悪のものでした。
「石館奈緒なおさんっていうんだ。息子さんは、真斗くんって言ったっけな」



 それからわたしはお父さんの車に乗せられて、今夜の食事のためのレストランに向かいました。普段のわたしたちには絶対に手の届かないような高級そうなレストランです。テーブルマナーなんて何も知らずに育った世間知らずなわたしが、このような上流階級の食事処に入ってもいいのでしょうか。
 前衛芸術のように立方体が組み合わされた妙な形のビルの六階にそのレストランはありました。店内に入るとウェイターさんがわたしたちを出迎えます。お父さんが予約の名前を告げるとウェイターが恭しく頭を下げました。
 予約の名前は「竹折」ではなくて「石館」でした。きっと、今夜の会食は、その奈緒さんとやらの方から持ちかけたお話なのでしょう。
 大体レストランというのがお父さんには不釣り合いだし趣味じゃありません。お父さんは居酒屋とか食堂とか、そういうもっと気楽な感じの食事の方が好きなはずなのです。その奈緒さんとやらはお父さんのことをなにひとつ分かっていません。
 いえ、もしかすると、お父さんの好みなどどうでもよくて、単に自分の好きを優先してこのレストランを選んだのかもしれません。もしそうだとしたら、その奈緒さんとやらとは絶対に仲良くなれないな、とわたしは密かに思いました。
「何だ? 緊張しているのか?」
 強張ったわたしの表情を見てお父さんが笑いました。母親となる人と兄弟になる人にこれから会いに行くことでわたしが緊張していると思ったのでしょうが、実際は違います。わたしの緊張の理由はこういった高級レストランでの作法が果たして自分に務まるのだろうかと危惧していたことにあったのです。何か粗相をした瞬間にウェイターさんがじろりと睨み付けて咳払いをするかもしれません。そうなったら、わたしはたちまち赤面してしまってナイフとフォークから手を放さざるを得なくなるのです。
 レストランの中は薄暗い落ち着いた雰囲気で、黒とオレンジ色を基本にした家具で統一されていました。レストランの一面はガラス張りになっていて、そちらからは白色の点が無数に光るそれは見事な夜景が見えました。夜景が見えるように、ガラスにそってテーブルが並んでいました。
 テーブルのひとつに、わたしの知っている顔が座っていました。石館真斗、あの危険な香り漂うクールなイケメンです。彼の姿を見てわたしは思わず足がすくみそうになりました。彼の隣に座っているスーツの女性が奈緒さんでしょうか。髪は短く、唇のルージュは少し紫がかっているような気がしました。化粧が大変濃い方です。近づけば香水のきつい匂いが漂ってきそうです。
 わたしよりも少し遅れて、ウェイターさんが案内するよりも先に、お父さんも奈緒さんたちのテーブルに気がつきました。
 お父さんが、わたしをテーブルまで連れて行きます。お父さんはサラリーマンらしくぴっしりとしたスーツです。奈緒さんのスーツ姿も大変お似合いです。石館くんも、お洒落の遺伝子をお母さんからしっかりと受け継いでいるのか、燕尾服に似たデザインのお洒落な白のカッターシャツと黒いジャケットという格好でした。
 一方のわたしは学校の制服姿。この四人の中ではわたしだけが仲間はずれにされたみたいです。こんなことになるならばわたしもお洒落をしてくるべきでした、と後悔したところで、わたしはこのような場所にふさわしいお洒落な服など持ってはいないのです。つまり食事の場所がこのレストランだという時点ですでに詰んでいるのです。このように絶望的な状況にわたしを連れてきたお父さんの背中をわたしは睨み付けました。
 そしてふと気がつくのです。もしかして、お父さんはわざとこんなレストランを選んで、わたしが場違いに浮いてしまうのを狙ったのではないでしょうか。お父さんはわたしを陥れようとしているのでしょうか。
 ……いいえ、いけません。そのように疑心暗鬼に陥って、肉親すらも疑惑の対象にしてしまうなんて。きっとわたしは心が腐っているのでしょう。わたしは自分を恥じました。こんなわたしはすぐにでもあのガラスを突き破って投身自殺でもするべきなのでしょうか。ああ、罪深いわたし。そして場違いなわたし。ああ恥ずかしい。
 石館真斗くんとはなるべく目を合わせないようにして席に着きました。先に席に着いたお父さんは奈緒さんと親しそうに話しています。いえ、実際に親しいのでしょう。テーブルの対角線上にお父さんと奈緒さんが座っています。反対の対角線にはわたしと石館くんが。
 目を伏せて、わたしは膝の上で両手をぎゅっと握りしめます。
「あの……乃美子、こちらが石館奈緒さんだ」
「初めまして。乃美子ちゃんね」
 奈緒さんが微笑を浮かべます。初対面の人間にいきなり下の名前を呼ばれるのは、いかんともしがたい不快感と違和感が伴います。
「私が石館奈緒です。……あなたのお父さんには、いつもお世話になっています」
「いや、そんな。奈緒さんの方こそ、いつも僕に良くしてくれて」
 お父さんが慌てて言いました。奈緒さんに頭が上がらないようです。そんな様子を見て、わたしの胸の中でチリリ、チリリ、と不愉快がつのってゆきます。
 ひとしきりお互いを褒めそやしてから、やっとわたしの存在を思い出したのでしょうか、奈緒さんは隣に座る石館くんを紹介しました。
「これが、私の息子の真斗です。乃美子ちゃんとは同じクラスだと聞いています。そうなんでしょ?」
「ああ」
 石館くんはまるでヤクザのように横柄な態度で頷きました。やはりこの人は苦手です。怖いです。それはお父さんも同じなのか、石館くんの様子を見て、少し怖じ気づいているような気もします。
「あの、僕が竹折久司です。真斗くんのお母さんと、その、お付き合いさせてもらってます」
「知ってますよ」
「で、その、こちらが娘の乃美子……」
「聞きました」
「あ、ああ。そうだよね。ご、ごめん。何度も同じことを言って」
「いえ」
 石館くんは小さく首を振りました。お父さんはもちろんのこと、石館くんも、何だか居心地が悪そうでした。当たり前です、自分のお父さんとなる人と初めて会ったのですから、戸惑うのも無理はありません。
 ――石館くんの目が、わたしの方へ移りました。
 わたしははっと胸が詰まる思いで、慌てて石館くんから目を逸らすとガラスの向こうに広がる夜景を見ました。街の光には特に興味はありませんでしたが、このまま石館くんと目を合わせ続けると何をされるか分かりません。睨み付けたのだと勘違いされて、彼の闘争本能に火をつけてしまうかもしれないのです。
「ああ、夜景。夜景、奇麗よね」
 奈緒さんが慌ててわたしに言いました。わたしの興味が夜景に移ったのだと判断したのでしょう。そうやって同調することで、わたしに取り入ろうとしているのかもしれません。そうは問屋が卸すものか、この女に騙されるわけにはいかないのです。
「そうですか」
 わたしは失礼にあたるぎりぎりのラインを狙って素っ気なく答えました。まずは成功です。奈緒さんの戸惑った顔が、夜景のガラスに反射して映っていました。
 でもちょっと待ってください。わたしは一体何をしようとしているのでしょうか。お父さんと奈緒さんとの恋路を邪魔しようというのでしょうか。
 いえ、お父さんがお母さん以外の女性と仲良くすることは、まああまり好ましいとは思いませんが、我慢しましょう。お父さんも男の人ですし、寂しいという気持ちがあることは理解できます。
 しかしその人物がすなわちわたしの母親となる、そういう安直で短絡的なシステムはどうしても納得できません。わたしにとっての母親とはわたしに乃美子という名前をつけてくれたあの女性だけであって、決してお父さんの恋人のことではないのです。
 わたしの胸中の葛藤など露知らず、お父さんは石館くんにどうやって話しかけようか、ずっと考えているようでした。何か言い出そうとして、そのたびに口を詰まらせて何も言えないのです。
 やがて、ウェイターさんが前菜を運んできました。メニューをもらった覚えはありませんから、予約の段階で料理を注文したか、あるいは先にレストランに着いていた石館親子が先に注文したのでしょう。そうした段取り、気遣いが、なぜかわたしには腹立たしく思えました。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という言葉が浮かんできましたが、わたしはそれを慌てて振り払いました。
 奈緒さんとお父さんは、少し緊張しながらも、基本的には砕けた調子で談笑しています。その反対側で、わたしと石館くんは、まるで通夜のように黙って食事を続けていました。
「……なあ、真斗くん。あまり楽しくないのかい?」
 お父さんがずばりと切り込みました。なぜかわたしがひやりと汗をかきます。いたたまれなくなって、フォークを強く握りしめました。お父さんは臆病な割に、一歩を踏み出すときはどう考えても危険な場所に平気で突っ込むのです。踏み出すにしても、そこはないだろう、というような超危険領域を。
「……いえ、すみません。その、別に不機嫌、ってわけじゃないんで」
 しかし、お父さんのそうした命知らずな一歩が、逆に功を奏すことも少なくないのです。石館くんは恥ずかしそうに、しかし決して不快な素振りを見せずに答えます。
「あの、俺、あんまりこういうところ得意じゃなくて……。こういう堅苦しいところ、苦手なんです」
「ああ、そうなんだ。実はね、そう、僕もあんまりこういうところは得意じゃなくて」
「そ、そうだったんですか? 私、あの、せっかくだから良いところで会おうと思って、その、余計なお世話を……」
「あああっ、違うんです、別に奈緒さんを責めたわけじゃ……」
「まあ、そんなところだろうと思いました。いつもそうなんです。見栄ばっか張って、自分のやりたいようにしないと気が済まないんです」
「真斗!」
「いや、でも、僕は奈緒さんのそういうところも嫌いじゃないよ」
「言いますね」
「やだもう、久司さんったら」
「母さん、その言い方ちょっとおばさん臭いよ」
「大きなお世話よっ」
「いやあ、でも、良かった。僕はてっきり、真斗くんは僕のこと、嫌ってるんじゃないかと」
「まあ、母さんが選んだ人ですから。基本的には賛成ですよ」
「あと、その、できればでいいんだけど」
「何です?」
「敬語やめて、普通に話してくれないかな。いずれは、やっぱり、家族になるわけだし」
「まあ、そう、だな。……って、何かちょっと変な感じですね、やっぱ。うん。まあ、慣れれば、そのうちなんとかなると思うけど」
「そうそう。無理はしなくても良いから、ね?」
 奈緒さんが微笑みます。石館くんが顔を崩します。お父さんもつられて笑いました。みんなが笑っています。わたしだけが、仏像のような無表情で、三人の家族を見つめていました。
 ……家族?
 そう、まるで家族のように和気藹々とした食事風景です。
 三人家族。
 そこにわたしの居場所はあるのでしょうか。
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