破滅の時間まで

第3話

 朝、一階のリビングに降りた僕を見て母さんが目を丸くした。
「あら、おはよう。今日は早いのね」
 返事をするのも億劫だったので、片手を挙げて挨拶の代わりとした。窓から見える今日の空は、分厚い雲が太陽を完全に覆い隠していた。そのせいでリビングが妙に薄暗い。まあそのおかげで今日はずいぶん涼しくなりそうだけど。
 父さんは昨晩のカレーを食べながらテレビのニュースを見ている。祐理はまだ起きていないらしい。テレビの端に表示されている時間を見ると、いつも僕が起きる時間よりも二十分以上早かった。
 コップの麦茶を一気飲みしてカレーを食べる。朝食はほとんど自動的だった。母さんの舌に合わせてデチューンされた甘口のカレーは、僕の眠気を吹き飛ばす威力すら持ち合わせていなかった。
 僕は何も、伊達や酔狂や、ましてや健康のために早起きをしたわけじゃない。特に健康なんて、五日後には死んでしまうかもしれない身で五年後のことを考えても仕方がないのである。
 今朝は自称正義の味方である桐田夏雄さんとの待ち合わせがあった。普段登校している時間でも構わないと彼は言っていたけど何故か僕はいつもより早く目を覚ます努力をしていた。残り五日、というのが効いているらしい。とにかく何かしなければと僕は焦っていたのかもしれない。父さんと母さんの頭上に浮かぶ「5」の文字を見るとその気持ちはますます大きくなる。
 ちなみに昨日の午後学校をサボったことは両親に知られていなかった。多少のサボりくらいなら先生も大目に見てくれるのだろう。あるいはいなくなったのが僕だから無視しているのかもしれない。まあ、いいだろう。心配されたところで事態がややこしくなるだけだ。
「ごちそうさま」
 早々にカレーを平らげて、洗面所に向かおうとした僕に父さんが話しかけてきた。
「今日は早いな。何かあるのか?」
「今日、日直だから」
「そうか」
 元々それほど興味もなかったのだろう、疑問が解決して父さんはカレーとニュースの世界に再び沈んでいった。
 洗面所で歯を磨き終えてから二階に上がる途中で妹とすれ違った。祐理は僕のことを見て目を丸くして、僕がおはようと言っても生返事を返すだけだった。なんて失礼な奴。そんなんだから五日後に死ぬんだ。関係ないけど。
 僕は制服に着替えると鞄を持って家を出た。学校指定の鞄の中には教科書とノートがぎっしりと詰まっていた。呑気に学校に通う気なんてさらさらないが、家族に不審に思われないためのカモフラージュは必要だった。
 家を出ると、いつもより涼しい朝の空気が心地よかった。たまに早起きをするのも悪くないと不覚にも殊勝なことを思ってしまった。
 今朝は永森のおばさんとは会わなかった。早めに家を出たせいだろうか。さすがに三日連続で顔を合せたら、何か運命的なものを感じてしまいそうになる。単に生活のリズムが噛み合ってしまっただけかもしれないけど。
 だけど今日はおばさんと会う代わりに永森準さんと会った。
 というか、最初はその人が準さんだとは気がつかなかった。家の前を通る道を、サングラスと帽子とマスクを身につけて辺りをきょろきょろ見回しながら歩いている人物を見て、僕は最初外国人窃盗団の話を思い出していた。
 これは通報するべきか見て見ぬふりをして全速力で逃げるか? としばしの間思案していると、マスクの影から覗く顔の形に見覚えがあった。いや、顔というか、全体の雰囲気、ほんのわずかな挙動の特徴が、僕の記憶の中にある永森準さんの姿と一致した。
 準さんは周囲を神経質に見張りながら(当然僕のことにも気づいているはずだ)、永森家の中に消えていった。手には白いビニール袋を持っていたから、大方コンビニかどこかで買い物をしてきた帰りなのだろう。ちなみに彼の頭上にカウントダウンは浮かんでいなかった。
 とても声をかけられる状態じゃなかったし、そもそも声をかけようとも思わなかったので、僕は桐田さんとの待ち合わせの場所へ急いだ。
 それにしても、準さんはどうしてあんな格好をしていたのだろうか。まあファッションの趣味は人それぞれだし、僕が口を出す事じゃないんだけど。しかしあれをファッションと呼んでいいのだろうか……。どう考えてもあれは自分の姿形を隠すための「変装」と考えるのが自然だろう。
 それにしても、準さんのカウントダウンが始まっていなかったのは不思議だ。おばさんの方はきっちりと五日後に死ぬことになっているのに、準さんの方は無事なのか。もしかしておばさんは家を出た先で死ぬのだろうか。それなら普段は部屋にこもっている準さんが惨劇を回避できるのもうなずける。
 五日後に控えた夏祭りのことが脳裏をよぎった。桐田さんの言うとおり、その夏祭りの会場で暴力団の抗争でも起きるのだろうか。だとしてもあれだけの人数が一斉に死ぬというのはちょっと考えにくいと思うのだが。暴力団、どんだけすごい武器を持ってるんだ。爆弾でも爆発させるんだろうか。
 と、まるで他人事のように考えながら、人気のない通学路を僕は行く。


***

 しばらく河の堤防沿いを行ったり来たりしていると、桐田さんがひょっこりと顔を出した。
「おや、もしかして待たせてしまったかな」
「待ってるんじゃなかったら、こんなところで何やってるんだよ」
「徳川の埋蔵金でも探していたのかい?」
「くだらないこと言ってないでさっさと本題に入れ」
 桐田さんはやれやれと言って肩をすくめた。本当は僕の方がそんな気分だった。
 目的地を言わないまま桐田さんは歩き始めた。もう馴れているので、口を挟まずに僕もついていく。歩きながら桐田さんが口を開いた。
「昨日きみと別れてから色々と嗅ぎ回ってみたんだ」
「ヤクザのこと?」
「指定暴力団」
 どっちだっていいだろう、そんなことは。
「まあどっちでもいいが」桐田さんは続ける。「逃げてる組員の名前は長谷崎というらしい。長谷崎寛。男。まだ未成年だったころから山内組の世話になっているらしいね。二十年間、組の下っ端で汚れ仕事を引き受けてきた男だ」
「汚れ仕事?」
「殴ったり脅したり奪ったり……」
 桐田さんが笑みを浮かべた。
 暴力団と言っても暴力だけが仕事ではない。それでは法の下で簡単に潰されてしまう。警察が暴力団を取り締まれない理由のひとつは、彼らの組織が表向き合法に成立しているところにあるのだ。もちろん、暴力団が違法な行為を行っていることはみんな暗黙のうちに了解しているのだが、暴力団に対抗して警察が暴力を発揮するには確たる根拠が必要なのだ。
 と、桐田さんは僕に説明した。まるで嘲笑うかのように。しかも嘲笑の対象は暴力団の方ではなくて、法律に縛られて治安の一つも守れない警察組織の方みたいだ。
 まあ、だからこそ私立の正義の味方なんてやってるんだろうけど。その言い方を真似るなら、警察組織こそが公立の正義の味方だ。
「私は警察が大嫌いでね」
「同業者なのに?」
「私が正義を行っていると、決まってやつらは私の邪魔をするんだ。労働者から不当に搾取して私腹を肥やしていた実業家の自宅を襲撃したときなんか、警官隊が出動して私を捜せ殺せの大騒ぎだった」
「あんたそんなことやってたのか……」
「何よりも、彼らは正義の味方ではない。彼らはただの利権組織だ。まったく、だから組織というのは駄目なのだ。正義とは胸の内に宿る哲学なのだよ。公務員試験に合格しただけの凡人に実戦できるものではないし、ましてやそれを政治闘争の道具に使うなんんて言語道断さ」
 喋っている内容の割には穏やかな口調だった。僕には桐田さんの話に含まれる冗談と本気の割合が分からない。
「まあここにいない存在の悪口を言い合っても始まらない。今回の物語に警察の出る幕はなさそうだしね」
「いや、悪口言ってたのおじさんだけだから」
「私たちが考えなければならないのは、五日後に起きる惨劇の、その仕組みにどこまで食い込めるかということだ。有り体に言えば、どうすれば私たちがキャスティングボートを握れるか、ということ」
「キャスティングボート?」
「外国などでは議会で多数決を行ったときに賛成反対が同数の場合は議長がその決の結果を決めるのさ。転じて、少数の勢力が大きな影響を及ぼすことを指す。現状、事態の進行は山内組に委ねられている。私たちは蚊帳の外さ。だからまずは、その蚊帳の中に入ることを考える。とすれば、私たちが真っ先にすべきことは?」
「……山内組に討ち入り?」
「あのね、私たちは赤穂浪士じゃないんだよ。それにたった二人で討ち入りなんて無謀すぎる。傭兵でも雇うかい? 日本にも傭兵がいたらよかったのにね」
「いちいちしつこいな。なんで僕がクイズなんかやらなきゃいけないんだよ」
「正義の味方はボランティアなんだよ。楽しめなきゃ、長続きしないだろう?」
 いや、僕は正義の味方になるなんて言ってない。
 話している最中も、桐田さんは足を止めることなく歩き続けていた。川沿いの道を、僕たちは馬鹿なやりとりをしながら歩き続ける。空は曇り、風は微風。久しぶりに過ごしやすい一日になりそうだった。
 今さらながら、僕は着替えを持って来なかったのを後悔していた。今は登校時間だからいいとしても、真っ昼間に制服姿なのは少し目立ちすぎる。下手したら補導されるかもしれない。そうなったらどう言い訳したものだろうか……。馬鹿正直に「正義の味方を手伝っていました」と言うよりも「グレて不良になって学校をサボってました」と嘘を吐いた方がまだ心証は良さそうだ。
「私たちの当面の目的は長谷崎を押さえることだ。山内組は長谷崎を血眼になって探しているのだから、彼を押さえれば私たちでも十分に奴らと渡り合うことができる」
「で、僕たちはどこに向かって歩いているわけ?」
「もうしばらく行けば浜木町の方に出るだろう? そこに私の情報提供者がいる」
「情報提供者って?」
「山内組の組員だよ」
「え? ヤクザに知り合いがいるの?」
「向こうは私のことを知らない。これから初めて会う」
「……どういうこと?」
「だから、情報を提供してもらうんだよ。もし断わられても、あらゆる手段を使って聞き出すだけだ」
 平和そうな表情でそんなことを言う。僕は改めて、このおじさんが警察に追われるだけある危険人物であることを認識した。
 徒歩で十五分も川沿いを下れば浜木町に出る。特に繁華街があるわけでもなく、知り合いもいないので、僕はあまりそちらの方面に出かけたことがなかった。一応伊美原から浜木まで電車が通っているが、わざわざ伊美原駅まで行くとそちらの方が遠回りになってしまう。
 僕はなんとなく河原の方を見ながら歩いていた。
 すると、川沿いの原っぱにゴミが山積みになっているのが見えた。ゴミと言っても生ゴミではなくて、冷蔵庫とか自転車とか本棚とか、とにかくよく分からない機械類や家具が無秩序に放置されていた。
「何だあれ。不法投棄か?」
 こんな場所があるなんて知らなかった。町が汚されていることに純真な不快感を覚えながらゴミの山を見ていると、その中でもぞもぞと誰かが動いているのが見えた。
 そこにいたのは女の人だった。青と白のワンピースを着て、靴は黒のミュールだった。河原やゴミの山に似つかわしくない、駅前の繁華街が似合いそうな出で立ちだ。そして何より、黒くて艶やかなロングヘアと大きな瞳がこの世のものとは思えない天使のような美しさを放っていた。
 とんでもない美人だと、僕は思った。年齢は二十代前半だろうか。若そうだけど、僕よりは年上だろう。あの無駄な肉のないスレンダーな体型は、どこかのモデルだろうか。そしてモデルだとしたら、なぜこんなところでゴミを漁っているのか。
 僕がこのミスマッチな光景にたじろいでいると、おそらく女性の容姿に一ミリの興味もない男がためらうことなく声をかけた。
「きみ! そこで何をしているんだ?」
 返事を待たずに堤防の坂を滑り降りた。僕は桐田さんを呼び止めたが、呼び止めたくらいで引き返してくれるわけがなかった。置いてけぼりにされるのが不安で、それと同じくらい彼があの可憐な女性に何かするんじゃないかと心配だった。僕は急いで桐田さんの後を追った。
 桐田さんは河原に降りたところで器用にブレーキをかけて停止していたが、僕にそんな器用な真似は無理で、勢いを殺しきれずに前につんのめった。
 無様に河原に倒れた僕を起こそうと、その女性が手を貸してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「はい。大丈夫ですか?」
 思わず神の存在を信じてしまいそうな透き通った声だった。これでゴミを漁っていなければ完璧だったのに。まあ人間、誰しも欠点はあるものだ。
 僕と彼女のやりとりを無視して桐田さんが訊く。
「きみ、こんなところで何をしていたんだ?」
「はい。修理をしていました」
「修理? 何の修理かね」
「はい。宇宙船の」
「宇宙船……? ということは、きみは宇宙から来たのか?」
「はい。その通りです。わたしは宇宙人なのです」
 透き通った声で、淀みなく彼女は答えた。
 先ほどの僕の評価を訂正しよう。ゴミを漁っていなければ、かつ中身がまともだったら、彼女は完璧だったのに。……それくらいの仮定を付けると、もはや彼女の原形を留めていないような気がするけど。
 正直言って、僕には対処できない。一体どんな反応をするのが正解なのか、そもそも反応するのが正解なのか、というか本気で言っているのか冗談で言っているのか、たとえ冗談で言っているにしてもこれはフォローできないぞ、などと僕の頭はショート寸前だった。僕には無理だ。桐田さんが、正義の味方がきっと何とかしてくれる。
「そうか、宇宙人だったのか」
 桐田さんが平然と答えたので僕は絶望した。
「どこの星だ?」
「はい。この地域の言語で表現すれば、ケスリア四四〇−三五ロ号星。あなた方にも理解できるように表現を改めれば、地球から見てかに座の方向に位置する惑星群のひとつです」
「その宇宙人であるあなたが、なぜこんな辺境の星に来たのかね?」
「はい。理由の一つは、この星にある炭素系の化合物を採取することにあります。わたしたちの文明にとって、これらの炭素化合物は非常に貴重な存在であります」
「炭素化合物?」
 はい、と彼女は頷いた。その様子だけを見ていると非常に愛らしいが。話している内容は銀河の辺りにまでぶっ飛んでいる。
 桐田さんが質問を続ける。
「それで、その炭素化合物とやらを取りにこの星まで来たところで、宇宙船が壊れたと」
「はい。その認識は事実と合致します」
「大変だな。一人で修理できるのかい?」
「いいえ。技術的な問題はありませんが、宇宙船を修理するための材料の不足に悩まされています」
「すると、このゴミは……」
「はい。宇宙船の修理に使います。わたしが集めました」
 当たり前のように答えた。材料、ということだから、この壊れた電化製品をそのまま使うわけではないのだろうが。どう贔屓目に見ても粗大ゴミの山にしか見えない材料置き場には、どこで拾ってきたのかスチール製のラックや業務用のデスクに銀色のジュラルミンケースなども置いてあった。あれをどう加工すれば宇宙船のパーツになるのか、ただの地球人の僕には皆目見当もつかなかった。
「そうか。早く帰れるといいね」
「はい。もしよろしければ、わたしが宇宙船を修理する手伝いをしていただけないでしょうか」
「悪いが、私たちは忙しくてね」桐田さんが僕の腕を引き寄せる。「見ての通り、私たちは正義の味方なのさ。これからみんなの命を守るために活動しなきゃいけない」
「はい。正義の味方でしたら、なおのことわたしに協力する理由があると思います」
「というと?」
「はい。わたしが所属している銀河採掘協会の規定により、ランクC以上の文明圏で協会員が一定期間連絡を絶った場合、協会の治安部隊により報復攻撃が行われます」
「ふむ。つまり、きみを宇宙に返さないと地球が滅びるということか」
 ふむ、じゃねえよ。そして天使のような彼女も「はい。その通りです」と馬鹿正直に答えていた。何だろう、世界が歪んでいるような気がする。
 桐田さんが僕の肩を小さく叩いた。僕の耳に口を寄せて囁く。
「この娘にカウントは出ているかい?」
「出てないけど……」
「ふむ。そうか。ちなみにきみの目は、人間以外の生き物の寿命も見えるのかな?」
「見えないと思う。試したことはないけど」
 そうか、と重々しく頷いて、桐田さんは僕の耳から離れた。しばらく思案するように腕を組んだ。その間、自称宇宙人の彼女は掴み所のないぼんやりとした表情で僕たちのやりとりが終わるのをじっと待っていた。
「ちなみにその治安部隊とやらが地球に攻撃を加えるまでの猶予はどれくらいだ?」
「はい。地球の自転周期に換算して五回から六回、というところだと推定します」
「決まりだな」
 ものすごく嫌な予感がした。予感というか、確信というか。何が決まったのか、誰が決めたのか、僕は一切の説明を聞きたくなかった。自称正義の味方が自称宇宙人を前にして微笑んでいた。一体コレはどういう悪夢だろう。過ぎた喜劇はただの悲劇である。
「よろしい、では私たちがあなたに協力しよう」
「はい。ありがとうございます。心から感謝します」
「と言っても、私たちに宇宙船の修理などできないが……」
「はい。正義の味方さんには、宇宙船を修理するための部品を収集していただきたいと思います」
「ちょ、ちょっと待って」
 平然とストーリーを進めようとする二人を僕は必死に押しとどめた。あんたらはそれでいいかもしれないが観客は置き去りだ。
 僕は桐田さんを宇宙人から引きはがした。自称正義の味方も十分にアレだが自称宇宙人よりは多少はマシに思える。桐田さんがよりアレな方向に傾くのを阻止したいという馬鹿な思いが僕にあった。
「おい、あんた正気か?」
「そのつもりだが。きみが何をもってわたしの正気を疑っているのか、その根拠をぜひ聞かせてもらいたいね」
「いや、だって、説明が必要か? あれを見てあんたは何も思わないのか?」
「あれ、とは?」
「あの人だよ! あの、名前は知らんけど、宇宙人? 銀河採掘協会? とかそういうのの会員の」
「いいえ。この星の生命体に適合させた発音を用いれば、わたしの名前はリュカ・ドーマンといいます。この地域の文明圏に意味を合せるなら、堂真柳華、という名前になるでしょう」
 自称宇宙人が言った。僕たちの会話が聞こえていたらしい。なるほど、宇宙人と言うだけあって地獄耳だ。宇宙人の聴力に関して僕は何の予備知識も持っていないけど、多分そういうものなんだろう。
「じゃあ聞くけど、さっき言ってた薬持って逃げたヤクザの男はどうするんだよ」
「そんなもの放っておけ。そのうち山内組に見つかって消されるだけだろう」
「宇宙人が攻めてくるって話より暴力団の抗争が起きるって可能性の方が信用できると思うんだけど……」
「そうかな。宇宙人というのはそんなに突飛な話かな? 何せ、世の中には人の寿命が見える超能力者がいるんだ。その程度のファンタジーが許されるなら、例え宇宙艦隊が攻めてきたとしても意外じゃないと思うが」
「僕のやつとあれを一緒にしないでくれ……」
「それに彼女の話だと地球に攻撃が加えられるのは五、六日後だということだし、きみが見ているカウントの数とも一致する。もしあの娘が自分を宇宙人だと思い込んでるただの変人なら、五日後に人が死ぬことをどうして予見できる?」
「ただの偶然かも」
「たくさんの人が同じ日に別々の理由で死ぬ偶然と、どちらが起きやすいかな?」
 それを言われてしまっては反論の仕様がない。
「よし、話はまとまった」桐田さんは僕を無視して勝手に話を進める。「それで、私たちは一体何をすればいいんだ?」
「はい。わたしは様々な方々の力を借りて、宇宙船を修理するために必要な部品の大部分を収集することに成功しました。しかしいくつかの部品は未だに入手の目処が立ちません」
「その部品とは?」
「はい。『アルミフィルムラミネート耐熱不織布』『全波整流用双二極管』『伝動用ローラチェーン』『麺切包丁』」
 最後の麺切包丁だけは僕にも理解できた。ていうかそんなもの、ちょっと大きい日用品スーパーに行けば売っていると思うんだが……。まあリュカさんは宇宙人だということらしいし、地球文明の、ちっぽけな日本国の貨幣を持っているわけではないのだろう。だとしたら、今この河原にあるたくさんの『部品』をどうやって集めたのかということが問題になるけど……まさか、盗んだわけではないよね?
「よし、話は決まった。それでは今言った部品を、五日以内にきみに進呈することを約束しよう」
「はい。心より感謝します」
 リュカさんは細い腰を折って、ぺこりと頭を下げた。


***

 無責任な桐田さんが部品集めを引き受けてから、僕たちはリュカさんと別れて川沿いの道を歩いていた。空一面を雲が覆い隠してくれているおかげで気温は低かったが、代わりに粘つく湿気が肌にまとわりついていた。
 まだ午前中だろうが、こんな時間にこんな道を歩いているのは僕たちだけだった。舗装もされていない砂利道の脇には名前も分からない雑草が背を伸ばしていた。川とは反対側には巨大な鉄塔が何本も電線を空に走らせている。
 溜息が漏れた。桐田さんがそれを見て言った。
「悩んでいるな、少年。悩むことはいいことだ。きみが悩んだ時間がそのままきみの人格を醸成するための肥やしとなる」
「年長者っぽい格言を言ってるところ悪いけどさ、安請け合いにもほどがあるんじゃない?」
「そうかな」
「えーっと、何だっけ? 包丁とか……」
「麺切包丁」
「んなもん宇宙船のどこに使うんだよ」
「ふふふ。彼女は我々とは比べものにならないほど高度な文明を持っているみたいだからね。きっと私たちの想像を絶する使い方をするのだろうよ」
「その台詞ってなんかものすごく卑怯な気がするんだよね……単に思考停止してるだけな気がする」
「人の死が見える、ということを受け入れるにも、多かれ少なかれ思考の停止が必要になると思うが」
 僕の本心としては、あの美人の宇宙人が胡散臭いと思う根拠を百も二百も挙げて桐田さんを論破してやりたいのだが、しかし僕自身、自称宇宙人と同じくらい「胡散臭い」超能力を持っているために、いまいち説得力を持たせることができないのだ。
「『麺切包丁』と……あと何だっけ?」
「『アルミフィルムラミネート耐熱不織布』『全波整流用双二極管』『伝動用ローラチェーン』」
「僕には何が何なのかさっぱり分からん」
「いずれも特殊なものじゃない。金と時間と手間を惜しまなければ手に入れられるものだよ」
「世の中の大抵のものはその三つがあれば手に入ると思うけどね……」
「鋭い洞察だ」
「ていうか、僕、いらないよね? 部品集めるだけなら、カウントダウンが見えなくても問題ないし」
「そうはいかん。私としては、きみには常に私のことを見てもらい、死のカウントが始まったらすぐに警告してもらいたい」
「そこまで警戒する必要もないと思うけどね」
「それはどうかな」桐田さんは顔を上げた。空を見ているようにも見えるが、彼が青空のない灰色の空に興味があるとも思えない。「そこの人。私たちに用があるなら早くしなさい」
 桐田さんが足を止めた。それを合図に、道の前後を、僕たちを挟むようにして堤防の下から人が上ってきた。一方はジーンズを履いた赤いシャツの若い男で、後ろに立ちはだかるのが黒いスーツを来た眼鏡の男。二人ともカウントダウンが始まっていて、やはり頭上の数字は「5」だった。
 スーツの方は桐田さんに似た雰囲気の出で立ちだったが、凹凸の少ないのっぺりとした顔と、まるで卑下するかのような作り笑いが、桐田さんとは真逆の印象を僕に与えていた。
「な、何? 何?」
 僕は疑問を口にするというよりは、二人を威嚇するように言って、桐田さんの腰にしがみついた。さすが桐田さんはこういう状況に馴れているのか、二人に側面を向けた状態で仁王立ちし、左右に鋭い視線を送っていた。
「わたしたちは怪しい者ではありません」
 と、スーツの方が言った。もちろん、そんな定型句で安心できるほど僕は間抜けではなかった。怪しい人間が馬鹿正直に「ぼくたちは怪しい者です」などと名乗るはずがないのである。
 またスーツの方が言う。
「むしろわたしたちはあなた方の同志なのです。わたしもあの空神様に心を寄せる信徒の一人です」
 「同志」「空神様」「信徒」……と、ひとつあるだけで警戒心を呼び起こすのに十分な単語が三つも。すでに僕の脳内は危険信号とアドレナリンで全開だった。何だ何だこいつらは、気味が悪いぞ。
 僕の頼りは同じくらい怪しい自称正義の味方だけだったが、桐田さんはスーツの男をつま先から頭までじろりと見たあと、おもむろに口を開いた。
「きみたちは堂真柳華の知り合いか?」
「その名は現世に隠れるための仮の名です。本当の名は恐れ多く口にすることができません。よって、わたしたちはあの方を空神様とお呼びしています」
「空神様?」
「空からやって来たから、空神様。しかし名前などはどうでもいいことなのです。重要なのは、あの方は唯一この世界に現存する神様であるということです」
「彼女は神なのかい?」
「あの方は天からやって来て、わたしたちの目の前で様々な奇跡を見せてくださいました。わたしたちの使命はあの方の示す場所へ世界を導くことであり、あの方の手足となってこの世界で活動することなのです」
 スーツの男は自慢げに言う。自分の行為に何一つ恥じるところのない威風堂々とした態度だった。それが逆に、狂信者っぽくて気味が悪かった。
「わたしと同じくあの方より使命を受けた信徒たちを集めて、わたしたちは『浮船の十字団』という組織を作りました。もしよろしければ、これから十字団の本部へ行き、あの方とあの方から授かった使命についてご説明させていただきたいと思うのですが……」
「うふふ。いいね。悪くない。話を聞こうじゃないか」
 何が良いのか、良くねえだろ、という言葉を喉の奥に引っ込める。桐田さんは微笑し、スーツの男に負けないくらい気色の悪い笑い声を上げて、彼らの誘いを快諾した。
 いいでしょう、とスーツの男は言う。
「こちらです」と今まで黙っていた赤シャツの男が先に歩き始めた。堤防の道から階段を使って下に降りる。桐田さんが迷うことなくそれに続いたので、僕も仕方なく彼らに案内されるがまま、浮船の十字団とやらの本部へ向かうことになってしまった。


***

 堤防の道から徒歩で五分ほど歩いた場所にコンビニがあり、駐車場に彼らの車が駐車してあった。ピカピカにワックスの塗られた黒塗りの外車は、純日本風の家屋が並ぶ風景の中で見事に浮きまくっていた。
 そこから車に乗せられて十分ほど走ると、彼ら「浮船の十字団」の本部があった。三階建ての茶色い立方体の建物で、一階部分は駐車場になっている。平日の午前中だからなのか、あまり人はいないようだった。
 僕たちは車を降りると、二人に案内されて駐車場の玄関から建物の中に入る。室内は土足では入れないらしく、玄関でスリッパに履き替える。中に入るとすぐ目の前に木の階段があって、僕たちは三階に案内された。
 建物の中も取り立てて特徴はなかった。床は全面フローリングで、部屋と部屋を仕切っているのはガラス窓がはめ込まれた木の引き戸だった。部屋の中には木のテーブルと椅子が置いてあり、僕はその光景から学校の教室を連想した。
「こちらです」
 スーツの男が一番奥へ案内する。僕はつるつるの床にスリッパの足を取られながら、桐田さんに隠れるようにして移動した。
 三階の廊下の先に両開きの扉があり、その奥には畳の敷かれた、薄暗くて広い空間があった。照明は壁際に等間隔に並んでいてかなり光量を抑えている。何かの道場だろうか、と僕は思った。宗教的な修行のために使う部屋なのかもしれない。
 スーツの男はスリッパを脱いで道場に上がると、手で僕たちを中に促した。桐田さんは一見すると不用心に、男の誘いに乗って道場に上がる。僕もそれに続くと、ひんやりとした畳の冷たさが靴下越しに感じられた。
 スーツの男は道場の中央に進むと、僕たちの方を向いてその場に正座した。気がつけば赤いシャツの男は姿を消していた。
「お座りください」
 言われた通りに、僕と桐田さんは二人並んで男の前に座った。何だか落ち着かなくて、僕は周りをきょろきょろと落ち着きなく見渡していた。道場が薄暗いせいだろうけれど、何だかこの空間が無限に続いているかのような薄ら寒さを感じるのである。もしかしたらそういう効果を狙った演出なのかもしれない。
 一方で、桐田さんは落ち着いた様子でスーツの男を真っ正面から捉えていた。落ち着いているというよりは単に鈍感でこの部屋の魔法が届いていないだけのようにも見える。
「そういえば、まだ名前を名乗っていませんでしたね。わたしの名前は琴浦といいます。この浮船の十字団の創設に関わった――まあ、幹部のようなものと思って頂いて結構です」
「そもそも浮船の十字団とは一体何なのかね?」
「それを説明するためには、まずはこの組織を設立したきっかけについて話さなければなりません。……わたしが空神様と初めて会ったのは去年のことでした。わたしは学生時代アメリカで生化学を学んでいて、卒業後は帰国して日本の化学品メーカーに就職しました。しかしわたしは日本の企業が肌に合わず、三年ほどで退職してからはずっと無為の時間を過ごしていました。そんなとき、故郷のこの町で、空神様と出会ったのです……。空神様を初めて見たとき、わたしはそこに天使が立っていたのかと思いました。あの美しき髪、完璧にコントロールされた挙動、知性の――」
 その後、五分ほどリュカさんに対する賛美が続いたが、僕は話題が元に戻るまでずっと琴浦さんの話を聞き流していた。
 しばらくお待ちください、というテロップが僕の頭の中を流れた。
「空神様はわたしの目の前で様々な奇跡を見せてくださいました。例えば当時のわたしは喘息を持っていたのですが、空神様がわたしの肺に手を触れて以来わたしは咳のひとつもしたことがありません。ああ、もちろん、その程度の奇跡ならば、単なる思い込みの――いわゆるプラシーボ効果だと言われるかもしれません。もちろんわたしも科学の精神を学んだ者ですから、そのことは理解しています」
「すると、もっと直接的な奇跡を見た、というんだね?」
「はい。今となってはお恥ずかしい限りですが、当初のわたしは半信半疑でした。ただ目の前に困っている人がいるのなら、少しくらい力を貸してあげてもいいだろうと、その程度の動機だったのです。ある日、わたしと友人たちであの河原に箱船の材料を運んでいました」
「箱船?」
 思わず僕が質問すると、琴浦さんが丁寧に答えてくれた。空神様は天に回帰するために箱船を必要とする。空神様が箱船によって天に回帰するとき、同時に地上とそこに住む僕たちを導くための道標となってくださる、のだそうだ。
 まあ要するに、宇宙船に乗って宇宙に戻る、ということを別の表現で置き換え神々しい装飾で彩った説明のようだった。僕は宗教の本質を垣間見たような気がしたが、浮船の十字団なる怪しい組織だけを見て宗教全体を決めつけてしまうのささすがの僕でも気が咎めた。
 琴浦さんが話の続きを再開した。
「ともかく、箱船の材料を河原に運んでいたとき、わたしの友人のひとりが廃材の角に足を引っかけて怪我をしたのです。太ももがばっくりと割れ、傷口からはとめどなく血が流れていました。わたしたちは慌て、急いで救急車を呼ぼうとしたところ、空神様が慌てるわたしたちを優しく諭したのです。空神様の仰せるままに友人の体を大地に横たえました。空神様は友人の傷口に触れると、わたしたちには理解できないような処置を行いました。わたしにはそれが魔法のように見えました」
 琴浦さんの声が熱を帯びていく。彼の勢いに僕は圧倒されていた。不安になって、隣に座る桐田さんの顔を盗み見ると、相づちも打たず、微笑を浮かべたまま静かに琴浦さんの話に聞き入っていた。
「傷は一瞬で癒されました。そのときわたしは確信したのです。天神様に従うことこそわたしの運命であり、それがこの地上を楽園へと導く唯一の方法であると。考えてもみてください、古今東西あらゆる宗教に神と崇められる存在がいますが、そのほとんどはこの世に物質として実在しない対象であって、言ってしまえばただの偶像を崇拝しているにすぎません。もちろん偶像崇拝を禁じる宗教もありますが、では彼らが何をやっているかというと、虚空に向かって祈るだけです。その行為に何の意味が? いいですか、重要なのは気休めでもないし、宗教の哲学でもない、わたしたちは具体的な救い手を求めているのです。わたしたちが目にすることができるのは物質の世界なのであって、したがってわたしたちには物質の世界での救いが必要なのです」
「なるほどね。それは興味深い視点だ」
「空神様はこの世界で唯一、物質的に地上に存在する神様なのです。それだけでも浮船の十字団の特異性をご理解頂けると思います。神だ仏だと喧伝して、富を再分配するだけの既成の信仰とは違います。わたしたちが行っているのは、空神様が空に回帰するためのお手伝い、箱船の再建という、極めて具体的かつ物質的な崇拝なのです」
「それでは、浮船の十字団とやらの目的は、あの堂真柳華の手伝いをすることなんだね?」
「わたしたちの最大の仕事は待つことです。わたしたちごとき地上の人間が、あの空神様に手を差し伸べるなどとおこがましいことはできません。ただ、空神様がわたしたちに神託を下した際には、わたしたちは全力でその神託に従うでしょう」
「神託って?」
 僕が質問した。
「あなたがた二人も、すでに神託を受けていらっしゃいます。空神様から、何かをするようにお言葉を賜ったのではありませんか?」
「いかにも」
 なぜか胸を張って桐田さん。
 琴浦さんは微笑した。
「では、それに従うのが賢明でしょう。わたしたちの組織が手を貸せば、その神託に従うのは簡単です。ですが、神託を受けたのはあなたがた二人です。すなわち、神託に従う権利はあなたがた二人のみに発生するのです。あなたがたの独力で神託に従うべきでしょう」
「つまり、自分たちで何とかしろと」
「その通りです」
 琴浦さんが頷いた。
 桐田さんはしばらく黙って考えるように腕を組んだ。
「ふふふ。分かった。それでは私たちも、そのありがたいご神託に従うことにしよう」
「ご賢明な選択だと思います。わたしも、同志が増えて嬉しく思います」
 琴浦さんはにこやかに笑って、桐田さんと固く握手を交わした。意味不明である。僕はずっと黙っていたし、琴浦さんと目を合せないようにしていたので、握手を求められるようなことはなかったけれど。
 その後、桐田さんと琴浦さんで少しの間雑談をしてから、僕たちは浮船の十字団のアジトを出た。その間、印鑑や壺を売りつけられるのではないかと、危機感の足りない桐田さんに代わって僕はずっと警戒を続けていた。


***

「何か言いたそうだね」
「言いたいことは山のようにあるけど……僕じゃあおじさんを説得できそうにない」
「ふふふ。諦めが早いのだね」
「誰のせいだと思ってるんだ」
 僕は悪態をついた。
 浮船の十字団の本部を出てから、僕たちは伊美原商店街の方に向かって歩いていた。本部に来るまでは車で送ってくれたくせに帰りは自力で戻れということらしい。おそらく琴浦さんが言っていた「信託を受けた者が信託に従う権利を以下省略」という原則によるものなのだろう。交通の手助けくらいは大目に見てくれてもいいじゃないかと思ったが、それは例えるなら神社の階段をエスカレーターにしてしまうようなもので、宗教的な「修行」という観点から見れば恐れ多いことなのかもしれない。よく分からないけど。
 十字団の本部は何てことのない住宅街の真ん中に、一般の団地や公園の間にひっそりと建っていた。近所の人たちはこの場所にこんな胡散臭い集団が住んでいることを知っているのだろうか。そもそも十字団の人たちは信者を集めるために勧誘を行ったりするのだろうか。
 桐田さんは目尻を緩ませて笑った。基本的に正体不明で心を読ませない桐田さんだったが段々とそれにも馴れてきた。
「ふふ。別に諦めが早いのは悪いことではないよ。往生際が悪いのと同様にね。どちらが一方的に優れているというわけではないさ。実際の問題では間違いを起こさないよりも、間違いを起こした後に速やかに訂正する方が重要な能力だからね。トライアンドエラーは戦術として十分に実用的だ」
「そりゃ一般論としてはそうだろうけど、今度の場合試して失敗を繰り返す余裕なんかないと思うよ。だって五日しかないんだし」
「それは正論だね。私は一般論よりも正論が好きだ」
「別におじさんの好みは関係ないけど」
「ふふふ。だったらこうしようじゃないか。今日は二手に別れて活動しよう。きみは宇宙人の方を、私が暴力団の方を担当する。問題の本質を見極められない以上、今は広範囲にアンテナを張るしかない」
 そんな馬鹿な。桐田さんの言ったことを実行する過程を想像すると、気が遠くなって気絶しそうなくらいだった。
「不満そうな顔だね」
「不服っていうか……僕じゃあ無理だと思うな」
「無理? やってもいないうちからずいぶんと悲観的なんだね。それとも、きみは私が思っている以上に無能な人間なのかな?」
「僕は別に物探しの達人じゃないし、それにあの自称宇宙人のことを信じてるわけじゃない」
「言い訳は一人前だね」
「……はっきり言って、その言い方は腹が立つ」
「おっと失礼。しかしだね、私ときみはあくまで共同戦線を張っている間柄だということを忘れないでくれたまえ。きみには私に協力しなければならない理由があるはずだ。だったらもう少し積極的に協力し合っても悪くはないと思うのだけど……」
 僕が桐田さんを睨み付けていると、桐田さんは防弾ガラスみたいな鉄壁の微笑で僕を説得した。この男の言いなりになるのは非常に腹立たしかったけれど、彼の理屈を理解できないほど僕は馬鹿ではなかった。
「……分かった。努力はしてみる。でも期待はしないでよ」
「こちらも全力を尽くすが、何せお互いに不確定要素が大きすぎる。今日一日で手応えを見て、明日またどうするかを決定しよう。待ち合わせは今日と同じところでいいだろう?」
 僕は頷いた。
 しかし、宇宙船の材料集めか。何だったっけな……。『麺切包丁』と耐熱なんとかかんとか、くらいしか覚えていないのだけど……。
 僕が今日これからの行動に顔を暗くしていると、桐田さんが極めて楽天的に言った。
「ふふふ、そう悲観することもないさ。私が見たところ、それほど特殊な工業製品というわけでもない。空神様の信託とやらは、あくまで一般的に流通している製品の収集に限定されるらしいね。まあそうでなければ自力での部品集めなどできるはずもないが」
「ん? そりゃ、僕たちが頼まれたのはあれだけだったけど、十字団の人たちはもっと特殊なものも集めて献上してるんじゃないの?」
「私は違うと思うね」
「その根拠は?」
「窃盗団」
「ん?」
「工業機械」
「単語で言われても分からん」
「つまりだね、最近この界隈で流行している謎の窃盗団の正体が、あの浮船の十字団なのだよ」
「えっ」
 窃盗団と聞いて、昨日の朝に母さんとした会話を思い出した。警察は外国人窃盗団が海外に機械を密輸しようとしていると考えているみたいだが、その実体は、秘密結社が宇宙人の宇宙船を修理するためにその部品を集めている、ということか。そんなファンタジーをノーヒントで当てられる警察官がいたらそいつはよほどの変人奇人だろう。
「もし窃盗団だとしたらもっと盗むべき価値のある物がいくらでもあるはずだ。わざわざビルに侵入したくせに金庫には触れずにわけの分からん機械だのガラクタだのを盗んでいったんだ。ということは、窃盗団の目的は金ではなくて、その盗んだ品の収集そのものにあるわけだ。そんな奇特な理由は、この広い伊美原を探しても宇宙船のパーツ集め以外には存在しないだろうね」
「ってことは、あの宇宙人はその辺の商店街だの工場だのに忍び込めば手に入るレベルの製品だけで宇宙船を修理してる、っていうことか……」
 まあそれを裏返せば、商店街だの工場だのに忍び込まなければ手に入らない、ということなんだけど。この僕に泥棒の真似事をしろということか。いや、真似事というか、これは正真正銘の窃盗だ。
「そう早まることもない。今日はとりあえず入手の方法だけを考えれば上出来さ。実行には準備と人手がいる。軽々に動くと危険だ」
 その意見には完全に同意する。慎重論と悲観論は僕の基本哲学でもある。
 桐田さんは頷くと、迷いなく足を進める。
「まずは腹ごしらえだ。どこかで美味い物を食べようじゃないか。今日は天ぷらが食べたい気分だ」
 まるでピクニックにでも行くかのような脳天気な桐田さんを見て、僕は自分の状況が、五日後とは言わずに今の段階でもうすでに最悪になっていることを自覚していた。

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