小説を深そうに見せる四つの技術

 しばしば物語は厚みによって批評される。薄っぺらいだとか、深みがあるだとか、そういうやつである。
 基本的に物語は「深い」ほど評価され、薄っぺらであることはマイナスの要因とされる。
 そこで本稿では、わたしの偏った執筆経験で悟った、小説を深そうに「見せる」ための技術をいくつか紹介したいと思う。

・キャラクターの意見を対立させる
 作者はしばし、小説の特定のキャラクターに肩入れしてしまい、他のキャラクターを「信者」にしてしまうことがある。しかし冷静に考えてみると、全員があるひとつの意見に賛成し、それに従うような状況にはあまり面白味がない。物語の面白さとは人々が対立し、意見をぶつけ合うことであって、全員が主人公を認めてしまう状況は安定しすぎていて退屈だ。
 そこで、キャラクターが主張する意見や信念(テーゼ)には、それと対立するようなアンチテーゼを配置するのである。もちろんそのアンチテーゼは作者ひいきのキャラクターを引き立たせるための当て馬であってはならない。テーゼとアンチテーゼは同等の質量を持ってこそ、左右が安定し、物語に重みが生まれるのである。
 ちなみにその結果、アンチテーゼの方が説得力を持ち、読者の支持を集めてしまう場合があるが、あまり深く悩まない方がいい。テーゼを支持された場合でもアンチテーゼを支持された場合でも、その意見は作者が生み出したものであるから、それほど気に病む必要もない。「両取り」ができるのもこのテクニックの長所と言える。

・無駄なエピソードを入れない
 物語を洗練させることで、読者は物語を深読みする余地を手に入れる。いわば読者に「深読みさせる」テクニックである。
 では洗練された物語とは何だろうか。
 洗練とは、川に流された石の角が磨耗するがごとく、何度も転がして無駄な部分を削り取る作業のことである。物語の中で無駄なエピソードを削ることで、読者にとっての文章の「読みとりの密度」が上がり、あたかも作者は全知全能で、その物語がジグソーパズルのように精密に計算された構造物であるかのように錯覚させることができる。
 ただし、「無駄なエピソード」という言葉の「無駄な」という部分は、すなわち「本筋に関わりのない」ということを意味しているのであって、どうしてもそのエピソードを加えたいのであれば、本筋に無関係なエピソードを削るのではなくて、エピソードの方を本筋に関係させてしまう、というテクニックも可能である。
 エピソード同士を蜘蛛の糸のように無秩序につなげていった結果、作者自身が本筋を見失ってしまうこともあるが、むしろその方が何か深いテーマがありそうな雰囲気がするので好都合だろう。
 ちなみに本稿は読者にテクニックを提示することを目的としたきわめて実用的な文章を目指しており、無意味に深そうなイメージを与えないよう、あえて洗練しない文章で論述していることを断っておく。わたしだって、本気を出せばマリアナ海溝より深い文章が書けるのである。誰も信じてくれないので、あまり強く主張したことはないけど。

・ありきたりな哲学は語らない
 キャラクターに哲学的な議論を行わせることは、その物語を深そうに見せるのに有効な手段の一つであるが、作者はこのとき、その哲学の議題もしくは結論がありきたりなものにならないよう注意を払う必要がある。
 具体的には「なぜ人を殺してはいけないか」「嘘は善か悪か」などは様々な媒体の物語で摘まれたテーマであるし、いまさら劇的な回答が得られる可能性は少ないので避けた方が無難かもしれない。
 この手の哲学的な議論は、ちゃんと理屈が通っていれば興味深い内容になるが、単に常識に反発する結論を提示するだけでは子供の反抗期と何も変わらない(いわゆる中二病。「人を殺すことの何がいけないんだ」とモラルに反することをキャラクターに言わせればキャラが立つと思ったら大間違いである)。
 ただし、哲学要素に奇をてらいすぎると読者を置いてけぼりにしてしまう危険性もある。真に高尚な哲学は哲学書か、哲学論文で繰り広げるのがいいだろう。

・脇役を賢くする
 物語の世界に厚みを持たせるためのテクニックの一つに、脇役を賢くする(主役の引き立て役にしない)というものがある。
 人にはそれぞれ歴史があり、その人の持つ価値観や洞察はその歴史によって生み出されたものである。そうしたことを蔑ろにし、脇役をただの主役の引き立て役にしてしまうと、脇役の人格は薄っぺらになり、物語の地平は奥行きを失ってしまう。
 良い物語には良い脇役がいるものである。脇役の哲学にまで神経を使うことで、作者は全知全能であり物語のすべてが作者の計算によって成り立っている、と読者を錯覚させることができるだろう。

 本稿の題は「小説を深そうに見せる四つの技術」である。決して「小説を深くする四つの技術」ではない。あくまで奥行きがあるように見えるだけである。見えないかもしれない。それは誰にも分からない。
 あくまで小手先のものであるから、作者諸君におかれては真に深い小説を書くことが望ましい。そのためには感覚を研ぎすまし、自然に触れ、人々を観察し、書物を読むことが重要である。たぶん、それで深くなるはずである。
 わたし自身薄っぺらであるので、こんなことを言ったところで何の説得力もないのだが。
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