こんなネット小説はダメだ2008

 ネット小説、オンラインノベル、Web小説、すべてインターネット上で読むことの出来る小説の呼称である。インターネット人口の増加に伴ってネット小説を書く人間の数も増えてきた。
 このわたしも、そうしたネット小説作家たちの末席を汚しているのだが、他の作家の小説を読むにつけて普段から思っていることをここに書かせていただく。題して、「こんなネット小説はダメだ2008」。
 読者としての意見ゆえ、言いたい放題言わせてもらうことをあらかじめ宣言しておく。なお、この評論と共に「批評を批評してみる」を読むことで、このわたしの自己分裂気味というか、他人に指摘されそうなことはあらかじめ自分で指摘しておくに限るとか、つまりそういうことである。

・ブログで掲載している
 わたしのプロフィールを読んでいる人間は少ないと思われるが、わたしはブログが大嫌いである(もちろん、これは小説の発表と閲覧を前提にした場合の話)。例えばランキングサイトなどから小説ページに飛んで、そこがブログだったりすると即座にブラウザバックするくらいに嫌いである。あるいはアドレスを見て「blog」という文字が含まれていればクリックすらしないだろう。
 閲覧者として言わせてもらえれば、ブログは非常に見づらい。ではどうして見づらいのか、と改めて考えてみると、案外ちゃんとした理由が思いつかない。困ったものだ(本稿の論旨的な意味で)。
 ブログによっては閲覧者に非常に気を遣っていて、丁寧な目次ページとか、デザインを工夫して普通のWebサイトっぽく見せたりとか、字も大きめにして読みやすくしたりとか、様々な工夫を発見できる。のだが……。
 やっぱり、読みにくいものは読みにくいのである。
 理由のひとつとして考えられるのは、ブログの階層構造の分かりにくさ、である。そもそもブログに対して階層構造ということを言い出すのが間違いなのかもしれないが。
 しかし普通のWebサイトの構成に慣れてしまうと、例えば今見ているのとは違う小説を探そうとしたときなど、トップページから何度も何度もクリックを強要されたりとか、それでやっと見つけたと思ったら最新の話がどこにあるのか分からず、ていうかどこまで書いているのか、完結しているのか、放置しているのか、それすらも分からず、わたしはそっとブラウザを閉じるのである。
 これは普通のWebサイトの基準で考えるから、ブログのオブジェクト指向みたいな形に違和感を覚えるのだろうが、では逆にブログに慣れたユーザーは普通のWebサイトに違和感はあるのだろうか。「ブログ小説が嫌いだ」という話はあちこちで聞くのに「ブログじゃなきゃ嫌だ」という意見をあまり聞かないのは、やっぱりブログという形式が使いにくいということの証明なのでは、などと思ってしまう。
 大体あれ、作者は使いやすいかもしれないけど閲覧者にメリットがないじゃないか……ぶつぶつ。

・改行がない
 と書いて、これはもしやわたしのことなのでは、と思い当たる節があるので冷や汗ものだ。
 改行せずにずらずらと一文が左から右へ流れ下の行へ、左から右へ流れ下の行へ、一体いつになったら一息つけるの。うっかり同じ文を何度も何度も読み返してしまったり、非常に見づらい。段落分けに大したこだわりがないなら見やすいところで改行してちょうだいよ、と思わずにはいられない。
 純文学っぽさを出すためになるべく改行せずに書き続けるやり方は、はっきり言って読みにくいだけである。というか純文学というだけで読みにくいのだ。そして素人の書く物は、ストーリーも大して面白くない。そうなったらせめて装飾だけでも読みやすくしてもらわなければ困る。
 やはり思い当たる節がいくつもある。今度は反省して改行しかない小説を書きます(エンターキー連打…)。

・一文が長い
 これもわたしのことだろうか。自覚はあるのだが。たまに。
 気取った文章を書こうとしている人はこういう傾向がある。長々と文章が続いて、おいおいこれどこまで一文なんだよーと思っていると一段落がその文だけだったりして。しかも読み返して主語と述語だけ取り出してみると「彼」の一文字だったり。
 どういうことかというと、「頭が良く利発でそれでいて理髪師で幼なじみの知子と婚約をしたにもかかわらず体の芯からにじみ出るハードボイルドは押さえきれずにとうとう単身アメリカに渡り砂漠をさまよったあげくに石油を発見して石油メジャーの一角を占めることになってから帰国して自分の理容店を持つことになった彼」みたいな、関係代名詞みたいにずらずらと装飾が行列している文。
 そりゃまあ、確かに「コーヒーを飲む彼と、ゆっくりと笑って窓の外を眺める彼女」みたいな体言止めは格好良いですけどね、そうも連打されると気がそがれるというかあまりにも散文的というか、はっきり言ってすべっている(つるつる)。
 素人が格好つけて粋がっている姿ほど寒いものはない。小説だとこれが顕著になる。その辺の読み捨て型ハードボイルドを読んだだけなのに何かをつかんだ気になって、上っ面の表現だけ真似てモノにした気になっている。
 ちなみに、そういう「滑った」小説の実例を読みたい人は「アネクメーネ防衛軍」というサイトがオススメである。全編だだ滑り、である。
 これを反面教師にして、今度は一文を極限まで短くした小説を書いてみようと思う。半角カタカナ一文字。結果的に縦書きのようなレイアウトになるだろう。

・文頭一字下げが徹底されていない
 文の最初にはスペース(あるいはスタイルシートか何かで一文字分下げる)を入れるのが一般的な小説の用法である。ところがこれを守れていない小説が意外に高い割合で存在する。
 一文が行をまたがない程度の長さならば気にならないが、そうでなければ、読み進めているうちに文が行をまたぐたびにどこを読んでいたのかを見失ってしまい、とても苛立たしい。
 わたしの他の評論を読んでいる方はおそらくいないと思うが(この評論を読んでいる人間がいるのかどうかも疑問である)、他でも述べた通り、わたしは小説のルールに関してあれこれとうるさく言うつもりはない。
 ただし、文頭一字下げだけは例外である。
 なぜかというと、この規則の効果に変わるような他の手法が今のところ見つからないのである。スペースを挟む以外に文頭が一目で分かるような表記法があればいいのだが、そういう方法を発明する手間を惜しんで、ただ手抜きのためだけにルールを無視するような、そういう小説は読むに値しない。
 一字下げが無視される理由として、Microsoft Wordで執筆したテキストを切り貼りするとこういう現象が起きるらしい。Wordは文頭一字下げをスペースではなくパラグラフへの装飾として処理しているので、テキストだけをコピーして移すと確かに入れたはずの一字下げが消えてしまうのだ。
 にしても、どうしてあんな使いづらいソフトで小説を書いているのだろう。今世紀最大の謎なのだが……。

・味も素っ気もないミステリ
 ネット小説界隈のミステリは、はっきり言えば不振である。第一に人口が少なく、第二にジャンルが非常に偏っている。大抵はラブコメやらSFやらホラーやらを混ぜ込んだ、純正なミステリとは言い難いものばかりである。
 そしてそれらの作品の特徴として、わたしの小説よりも面白く、また、矛盾が少なく、語彙が豊富である。
 しかしたまには、混じりっ気なしのピュアなミステリーを、最後には読者をあっと驚かせてくれるような型破りなミステリーを読んでみたいと、ミステリファンのわたしは思うのである。
 綺麗なだけの地味なミステリーが多いのは、いち読者としては非常に不満が残るところである。作家の末席を汚させていただいている身としては、耳の痛い話ではあるけれど。

・文章がねじれている
 この評論中にいくつもの具体例があるので反面教師とせよ。
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